三浦徹「地域研究と比較史:イスラームの都市社会」(講演原稿とスライド)

スライド32

第三の疑問は、人びとがどのように生計をたてていたかでした。日常の取引に関係する歴史史料というものは、どの地域の研究でも限られているのですが、オスマン朝の統治期には、各都市にイスラーム法廷がおかれ、その記録が大量に残されています。サーリヒーヤにも、法廷がおかれ、18-19世紀の、このような法廷台帳が、シリアの国立歴史文書館に所蔵されています。19世紀後半の6冊、5年間に法廷台帳には、おびただしい数の関係者の名前が記録され、当事者は約3000人、当時の住民1万人のうち3.3人にひとりが法廷に出廷していたことになります。

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