第7回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」(2016/07/03)

科研費「近代中央ユーラシア地域における帝国統治の比較法制度・法社会史的研究」(基盤研究(B)・研究代表者:堀川徹)では、以下の要領で第7回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」を開催しました。

日時: 2016年7月3日(日) 13:00~17:30
場所: 京都外国語大学国際交流会館4階会議室(No.941) 京都市右京区西院笠目町6
会場アクセス: http://www.kufs.ac.jp/access/index.html

【プログラム】

13:00~13:10  開会挨拶(堀川徹)
13:10~13:20  出席者自己紹介
13:20~14:50  研究報告・質疑応答(1)
木村暁(京都外国語大学国際言語平和研究所・嘱託研究員)
「ブハラ・アミール国の司法:行政機構とのかかわりを中心に」
14:50~15:10  コーヒーブレーク
15:10~16:40  研究報告・質疑応答(2)
塩野崎信也(関西学院大学文学部・日本学術振興会特別研究員)
「ロシア帝政期南東コーカサスにおける法制度の変遷」
16:50~17:30  総合討論
18:00~     懇談会

【参加報告記】
2016年7月3日、京都外国語大学にて第7回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が開催され、国内から22名の研究者が参加した。報告者は木村暁氏(京都外国語大学国際言語平和研究所)と塩野﨑信也氏(日本学術振興会特別研究員)の2名であり、それぞれブハラ・アミール国における司法制度と南東コーカサス地域における法制度について自らの研究報告を行った。以下、本報告記では、まず木村・塩野﨑両氏の報告内容の概要を紹介し、次に両報告に対する筆者の所感を述べる。

「ブハラ・アミール国の司法:政治体制とのかかわりを中心に」と題する木村報告では、ブハラ・アミール国の司法制度研究にかかわる問題点として、①君主権や行政機構がもった司法とのかかわり、②同国での司法制度の実態、③ロシアによる保護国統治が同国の法的空間に及ぼした影響、以上3点を提示し、特に①と③を中心的に考察した。①の君主権に関しては、第3代アミール・シャームラード・ビーの治世を画期とし、歴代の君主たちが通婚などの様々な施策を通して自らの君主権を強化・正統化していく過程を考察した。その中で、ブハラ・アミール国の君主は自らの権威の源泉を、預言者とチンギス・カンの血統、そしてスンナ派・ハナフィー派正統主義イデオロギーに置き、超越的権力を有する支配者および宗教指導者としてのアミール像を作りあげていった。アミールのこのような自己認識は、必然的に法曹たちの統制につながり、ブハラ・アミール国の司法は、アミールの恣意によって影響を受けやすいという構造的特質を有するに至った。③のロシア統治の影響に関しては、主に奴隷貿易の廃止という観点から考察した。概して、ロシア・ブハラ関係の軸となったのは通商関係であり、アミール国の内政にロシアが積極的に干渉することはなかった。しかし、ロシアの主導により1873年和親条約で奴隷の輸入・売買を行う奴隷貿易が廃止されると、それが間接的にブハラ・アミール国の法空間に、一つの重要な変容をもたらすことになった。すなわち、奴隷貿易の廃止はそれ以前に奴隷とされてきたシーア派イラン人の法的・社会的地位の向上をもたらし、この結果領内のイラン人の宗派意識が覚醒することになった。かくして、アミールは自己のスンナ派正統主義イデオロギーを堅持することができなくなり、ブハラ的な法的一元性と社会秩序が揺らぐことになったのである。

次の塩野﨑報告では、「ロシア帝政期南東コーカサスにおける法制度の変遷」という題目で、研究蓄積の浅い同テーマに関する予備的な考察を行った。本報告は、19世紀を中心に、テュルク語を話すムスリムが多く居住する同地域においてロシアが導入した法制度の変遷を通時的に整理した。塩野﨑氏は、①1831年以前、②「裁判と刑罰に関する、かつてのタタール管区、エリザヴェートポリ郡、ムスリム諸地域、山岳民たちの犯罪と過失についての法律」が導入された1831年、③「ザカフカース統治規則」が導入された1840年、④「ザカフカース地方裁判諸法適用規定」が導入された1866年、⑤ムスリム宗務局が設置された1872年以降、以上5つの時期を法制度変遷の時代区分として設定し、それぞれの時期における司法制度の特徴を前時代との比較も交えて整理した。その中で報告者が特に重視したのは、ロシアの征服以前から存在した、カーディーが主宰するシャリーア法廷の各時期における位置づけである。全体として、シャリーア法廷の管轄は婚姻や遺産分割といった案件に限定され、その機能を縮小させられることになった。しかし、現地のムスリムがあらゆる民事訴訟をシャリーア法廷に持ち込んでいたという事実、またロシアが導入した一般法廷ではロシア語のみで審議が行われた点などを考慮して、報告者は、現地のムスリムにとってのシャリーア法廷の重要性は前時代と比べて大きな変容をこうむっていない可能性を指摘した。

以上の二つの地域における司法制度に関する研究蓄積が浅いこともあり、フロアからは、専門用語の訳語や各種裁判官の序列といった問題など、基本事項に関する質問・コメントが目立った。ただし、一見小さな問題に見えるそれらの質問・コメントは、報告者の回答を聞く限り、「より大きな歴史的文脈」の中に位置づけられ得るものであるとの印象を受けた。例えば、ロシアが法制度を整備していく過程で他の西欧列強のそれを参照していた事実や、奴隷貿易の廃止が契機となってブハラで生まれた法的多元性が、帝国主義的拡大を推し進めるロシアが標榜していた「文明化の使命」という思想的背景と密接に関係していた点などが挙げられる。これらの点に鑑みると、木村・塩野﨑両氏の研究が、単にローカルな出来事を明らかにする以上の意味を有するものであると実感した。司法制度を切り口に、現地における歴史的展開を一次史料に基づきつぶさに解明しようとする両氏の研究は、支配側の視点と被支配側の視点双方に目配りすることで、多くがロシアの支配下にあった近代中央ユーラシアの歴史の一局面を多角的に論じる可能性を秘めているように感じた。今後の研究の進展を期待したい。

(文責:長沼秀幸 東京大学大学院人文社会系研究科・博士課程)

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