第13回中央アジア古文書セミナー(2015/3/21-22)

2015年3月21、22日の二日に亘り、毎年恒例の中央アジア古文書セミナー(通算13回目)が、堀川徹氏代表の科学研究費基盤(B)「近代中央ユーラシア地域における帝国統治の比較法制度・法社会史的研究」主催で京都外国語大学にて開催された(NIHUプログラム・イスラーム地域研究東洋文庫拠点、「17~19世紀オスマン帝国における近代社会の形成」(基盤研究(B)・秋葉淳代表)、東洋文庫「近現代中央ユーラシアにおけるイスラームと政治権力」研究グループとの共催)。参加人数は、北海道から九州まで40人を超え(過去最高を更新)、学部生や修士課程の学生も含まれた。第一日目には菅原純氏(東京大国語大学)とバーキー・テズジャン氏(カリフォルニア大学デイヴィス校)による研究発表が行われ、二日目に矢島洋一氏(奈良女子大学)と磯貝健一氏(追手門学院大学)による恒例の古文書解説と講読が行われた。

一日目は最初に、菅原氏が「カーディー文書を中心とする新疆テュルク語民間文書:概説と講読」と題する報告を行った。菅原氏による新疆テュルク語文書研究の発端は、氏が私的にカーディー文書を骨董屋にて発見したことが始まりであったという。この文書は後日、新疆大学に寄付され、現在菅原氏と新疆大学が共同研究しているという。報告では、中国・中国外における新疆民間文書の所蔵・収集状況を概観し、新疆・ウイグル研究におけるカーディー文書・イスラーム法廷の重要性が説明された。氏が私的に発見し、後日新疆大学に移管されたカーディー文書の来歴と研究状況が概観されたのち、堀川・磯貝・矢島3氏が進めている中央アジア古文書と比較がなされた。代表例として紹介された売買文書には、中国語との合壁文書もあり、またテュルク語文書にも中国の行政機構が関与している痕跡が認められるという。その後、不動産の売買に関する文書4点をとりあげ(買戻約款付売買を含む)、中央アジア(西トルキスタン)との類似点・相違点も議論しながら講読を行った。報告と講読の後、菅原氏が利用している文書群の分類の内容や中国語合壁文書が張り合わされる例、買戻約款付売買における賃料について質疑がなされた。

続いて、バーキー・テズジャン氏の報告 “The Portrait of the Preacher as a Young Man: the Education and Early Career of Kadizade Mehmed”は、17世紀に約50年に亘って続いた “Kadizade movement”(一種のスンナ派における「ピューリタン運動」とも紹介される、教義の厳格な適用を求める社会運動)に関する学説史を概観し、カドゥザーデ運動が、宮廷内、中間層など社会における様々な階層での対立構造と大きく関係していたことを指摘した。この運動の名親であるカドゥザーデ・メフメト自体に肉薄する内容であった。ここで氏が強調していたのは、カドゥザーデ・メフメトことシャイフ・メフメト・エフェンディが、受けていた教育、また教育者として施していた教育のいずれも当時のオスマン朝の標準的なものであったことであり、彼の厳格な思想の背景には特にハンバル派イブン・タイミーヤの著書の影響などは特に見られないという。彼自身実は、ナクシュバンディー・スーフィー教団に傾倒していた時期もあり、反スーフィズムと一概にみるには再考の余地がある。実際に当初はイブン・アラビー批判を受け入れていたものの後年、それを修正する学説の影響を受けていたことも言及された。またテズジャン氏によれば、反スーフィズムなど「強硬」な印象のあるカドゥザーデ・メフメトも、16世紀中葉以降法学者間で賛否が分かれていた「現金ワクフ」には沈黙していたという。これはカドゥザーデが、現金ワクフによる経済活動活性化に裨益していた商人層と良好な関係にあったためであると推測される。つまり、彼はあらゆる場面で厳格な教義適用を主張していたわけでなく、場面に応じて硬軟使い分けていたのであった。

講演後の質疑においては、絶対的な権力確立を志向する大宰相キョプリュリュ・メフメト・パシャとそれとは異なる政治的立場をとっていたと思われるカドゥザーデ・メフメトとの関係や、インドのアフマド・スィルヒンディーの著作からの影響、イブン・アラビーやスーフィー批判の実相など多岐にわたって活発な議論が行われた。

二日目午前中は、矢島洋一氏による合法売買bay‘-i ja’izの解説と講読が行われた。この合法売買文書は、本古文書セミナーの第一回目に磯貝氏がすでに紹介していたが、イスラーム法で最も基本的な売買契約を許にする本契約文書を改めて検討する必要を感じ、今回取り上げるに至ったという。合法売買契約とは、日本でいう買戻約款付売買であり、ハナフィー派法学における弁済売買 bay‘ bi-alwafaの一種である。氏は、本契約の法学的な位置づけ(脱法に近く、学派内でも議論が分かれる)を確認し、この契約文書の書式を詳しく紹介した。氏の調査によれば、合法売買による実質的な利子は15パーセント前後がおおく、やや高くて20パーセントの事例もみられるという。また比較法制史的な観点から他地域における同様の契約や、現代日本におけるリースバック契約なども紹介し、時代と地域を超えた合法売買的契約の社会的重要性を述べた。

講読した文書は以下の通りである。

(1)16世紀の文書書式集Majma‘ al-wathaiq(シャイバーニー朝アブドッラー・ハーン2世期)から一文書(ペルシア語):

ワクフ地内にあるキャラバンサライの用益権四分の一を対象とする合法売買。実質的な利息は年率44.25パーセントか?(やや高いが、日割りで賃料が設定されているためありうるとの意見が寄せられた)

(2)コーカンドのハムザ博物館所蔵:

コーカンドのシャイハーン街区の屋敷を対象とする合法売買、実質的な利息は年率15パーセント

(3)ブハラの国立建築・芸術保護区博物館所蔵文書:

ブハラ近郊のワグニー村にある免税私有地に関する合法売買。実質的な利息は年率20.57パーセント。

午後は、磯貝健一氏がブハラ・アミール国期の裁判関係の訴状を取り上げた。まず、磯貝氏は中央アジアにおける裁判制度を、関連文書の作成過程に着目しながら解説し、訴状を取り上げる意義と訴状の文書的な形式・特徴を述べた。その際興味深いのが、訴状の裏面には、判決内容、タズキラとよばれる審議経過、ファトワーなどが書かれている事例がみられることである。こうした史料を研究し、アミール国期の訴訟・裁判制度とロシア統治下のそれの連続性と変化を解明する必要性があるという。磯貝氏による訴状の具体的な解説のなかで、被告の呼称が文書によっては異なる点を記録しておきたい。訴状においては「被告」に、“muhdar hadha”(出頭させられた者)という語が用いられるが、判決等では“mudda‘a alayhi”(訴えられた者)という語が用いられるという(muhdar hadhaは同じペルシア語文書でもイランでは見られない)。また訴訟が実際には、「和解」(sulh)によって解決する場合も数多くみられるという。判決が書かれた文書は非常にまれであり、今回はそれも取り上げることになった。

その後の講読で取り上げた文書は以下の通りである。

(1)国立ブハラ建築美術保護区博物館所蔵文書:

原告の所有地(畑)に侵入し、自分の家畜に原告の土地のメロンを食べさせた被告に、差額の支払いを求める訴えが適法かどうかを問う内容。適法である根拠として記入されている法学書から引用は、他者の作物を滅失させた場合には、差額を賠償させる旨である。裏面には和解内容が書かれている。

(2)国立ブハラ建築美術保護区博物館所蔵文書:

自身の馬が不当に奪われたと主張して、返還をもとめる訴訟の是非を問う内容。適法である根拠である法学書からの引用は、不法に奪われた私有財産は、取り返すことができる旨である。裏面には判決が書かれている。判決によれば、被告は実は第三者の所有物である馬を購入したのだが、当該の馬を返却し、売り手から馬の代価相当を請求(追奪)しに行くことが命じられている。なお、磯貝氏によれば、現存する古い判決書(13世紀頃)と比較しても、判決の書式自体はあまり変化していない。

総合討論では、合法売買に伴う賃貸借期間や、契約に見られる定型句が後代に省略されるようになる傾向、紛争解決における和解と判決の間にあるものなど、イスラーム法学に関わる問題や文書書式に関する多様な論点が他地域事例とも比較しながら議論された。

今年も学部生・修士課程の学生など若手の参加が前年に引き続き多くみられ、新しい人材が継続して育成されていることが感じられた。なお報告者が本セミナーの「報告」を担当するのも2009年以降7回目を数え、じつは13回のセミナーの半分に上る。毎回新鮮な発見があり、不勉強を恥じ自身の進歩の遅さを恐縮しているが、文書の読みや基礎研究の重要性を学び、かつ専門地域・世代・在住する地域を超えた研究交流の機会に大いに裨益している。日本の西アジア・中央アジアに伝世している古文書を用いた歴史研究の発展に果たしている本セミナーの役割は非常に大きく、国際的にみても日本の研究水準を高めるのに貢献している。また事務的な面からも研究の面からも磯貝真澄氏(京都外国語大学)の尽力が、この大人数の研究会の運営に不可欠になっていることも明記しておきたい。本研究セミナーの開催に汗をかき、機会を提供することで若手の支援にも尽くされている堀川徹、磯貝健一、矢島洋一、磯貝真澄各氏に深い謝意を表するとともに、今後の発展的展開を一層期待して報告を締めくくりたい。

(文責:阿部尚史、東京大学大学院総合文化研究科)

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