第10回「オスマン帝国史料の総合的研究」研究会(2011/5/28)

研究班「オスマン帝国史料の総合的研究」では、末期オスマン帝国の歴史家・法律家アフメト・ジェヴデト・パシャによる『覚書 (Tezakir)』の講読および翻訳作成を最終目的として、研究を進めています。

下記日程にて第10回研究会を行いました。

第10回研究会
[日時] 2011年5月28日(土) 13:30~17:30
[会場]東洋文庫7階会議室
[テキスト]ジェヴデト・パシャ『覚書 (Tezakir)』第1巻、53~57頁 (『覚書』手稿本と刊本の照合・翻訳読み合せ)
[担当者]長谷部圭彦、澤井一彰

[概要]
2011年5月28日に東洋文庫において第10回目の『覚書(Tezakir)』研究会が行われた。今回の研究会には8名が参加した。

研究会冒頭では、オスマン帝国史資料解題の作成について議論が行われ、解題の項目、担当などが話し合われた。

次に『覚書(Tezakir)』の転写本53頁から57頁について長谷部圭彦氏、澤井一彰氏の訳稿を元に検討が行われた。
今回検討された範囲では、まず長谷部圭彦氏の担当部分について、海軍大提督の人事におけるフランスの影響力、スルタンへの影響力を取り戻そうとするカニングの努力などが述べられた。

検討の過程で、メフメト・アリー・パシャとムスタファ・レシト・パシャの対立の問題などに触れられた。また sarraf という単語をどう訳出するかについて議論がなされた。

次に引き続く箇所について澤井一彰氏の訳稿を元に検討が行われた。
この部分では、オスマン朝の政府高官に対する給与額が財政均衡の原則を無視するほど高額に上っていること、英仏両国による借款に対する批判、パリ駐在大使ジェミル・ベイとフランス皇帝ナポレオンの会見、教育審議会によってヴェフビー・モッラー・エフェンディの不正が明らかにされたこと、クリミア戦争のバラクラヴァの戦いの詳細について述べられた。またこれ以降の内容については次回に持ち越された。

検討の過程で、ヨーロッパ列強の対外膨張とオスマン帝国への進出の問題に触れられた。またこの時期の教育制度の発展に鑑み、当該の箇所に出てくる学校組織についての用語をどのように訳すかという問題について討論がなされた。

今回の研究会も今までと同様、前もって担当者が試訳を配布しメールのやりとりによってそれに対する意見を交換しておくという形で行われた。そのため、事前に交換された意見の確認やそれを踏まえて更なる議論を行うことよってより自然な日本語に直すことで、検討を効率的に進めることができた。

今回の研究会は前回から1ヶ月後に行われ、次回は8月に予定されている。

文責:山下真吾(東京大学大学院人文社会系研究科博士課程)

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