公開講演会「イスラーム史料:原典が語りかけるもの 」(2010/7/3)
2010年度イスラーム地域研究合同集会(2010/07/03)
■公開講演会「イスラーム史料:原典が語りかけるもの 」
NIHUプログラム「イスラーム地域研究」2010年度合同集会では、東洋文庫拠点の企画により「イスラーム史料:原典が語りかけるもの」をテーマとした公開講演会を開催し、イスラーム地域各地の原典史料に精通されている研究者をお招きして、原典の世界とその愉しみについて語っていただきました。
[日時]2010年7月3日(土)13:30-17:30(開場 13:00)
[主催]
イスラーム地域研究早稲田大学中心拠点(WIAS)
イスラーム地域研究東洋文庫拠点(TBIAS)
[会場] 早稲田大学22号館202
>>地図
[プログラム]
13:30-13:45 開会の辞・東洋文庫拠点の活動について 三浦徹(東洋文庫イスラーム地域研究資料室長/お茶の水女子大学)
13:45-14:25「回想録は語る:『バーブルナーマ』の魅力」 間野英二(京都大学名誉教授)
14:25-15:05「文学書が語る歴史、歴史書が語る文学」 山中由里子(国立民族学博物館)
15:05-15:45「伝記は語る:『ムハンマド伝』の魅力」 後藤明(東洋大学)
15:45-16:15「文書は語る」 大河原知樹(東洋文庫イスラーム地域研究資料室/東北大学)
16:15-16:30 休憩
16:30-17:15 講演者パネル質疑
17:15-17:20 閉会の辞(佐藤次高代表)
司会:近藤信彰(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)
[概要]
2010年度NIHUプログラムイスラーム地域研究合同集会(早稲田大学中心拠点・東洋文庫拠点共催)では「イスラーム史料:原典が語りかけるもの」をテーマとする公開講演会が開催され、四人の研究者がそれぞれ専門とする原典史料に関する講演を行った。
最初に開会の辞を兼ねて、本講演会の企画を担当した東洋文庫拠点の三浦徹代表より、現地語史資料の体系的収集・文献情報データベースと司書ネットワークの構築・文書資料による比較制度研究の三本柱からなる東洋文庫拠点の活動の紹介が行われ、その後に講演に移った。
第一講演:「回想録は語る:『バーブル・ナーマ』の魅力」/ 間野英二(京都大学名誉教授)
16世紀にムガール朝創設者バーブルによって書かれた回想録『バーブル・ナーマ』は、テュルク散文学史上の傑作のひとつに数えられている。
講演では、内陸アジア出身の君主自身が残した回想録でありイスラーム教徒の自伝には珍しく自己の内面をごく率直に吐露している稀有の文学として、本書の魅力が豊富な事例と美麗な画像とともに紹介された。また、『バーブル・ナーマ』の研究史においては、底本となる校訂本を欠く状況での訳業や研究の難しさが指摘され、校訂本作成の重要性が改めて明らかにされた。現在、『バーブル・ナーマ』校訂本及び邦訳は絶版状況にあるが、読み物としても面白い史料であるだけに、より身近な形での再版が望まれる。
第二講演:「文学書が語る歴史、歴史書が語る文学」/ 山中由里子(国立民族学博物館)
比較文化の観点から文学と歴史の関連性をとらえたこの講演では、イスラーム以前のアレクサンドロス大王伝説が西アジアのさまざまな時代・地域において、宗教や政治的な文脈からどのように受容・伝播されてきたかが扱われた。クルアーンなどイスラーム初期の史料においてアレクサンドロス大王は「二本角(ズル・カルナイン)」として登場するが、史実を排した物語的な存在として伝承されており、またその内容からは拡大していくイスラーム共同体の体験を象徴的に映す存在という性質も見ることができる。これらの記述は、口頭で伝承され、断片的・象徴的であったが、アッバース朝成立以降、紙の導入や非アラブの地位の向上に伴い、知的環境が変化したことで、年代考証やイランの文化的要素を加味した形で変相していく。
講演の最後にはガズナ朝期の頌詩など文学が歴史を語る例、またその中でのアレクサンドロス大王の扱いについても触れられた。
第三講演:「伝記は語る:『ムハンマド伝』の魅力」/ 後藤明(東洋大学)
イスラーム最初期の書物であり、預言者ムハンマドの伝記であるイブン・イスハーク著『ムハンマド伝』について、まもなく本書邦訳を刊行する講演者が、その文化的背景なども含めた概要と面白さを語った。
本書で現存するのは9世紀初めにイブン・ヒシャームが編注を加えた版であるが、講演ではまず『ムハンマド伝』執筆の事情や、編注が後年成立した学問に基づいているといった成立状況が紹介され、翻訳に際しては(編注者ではなく)著者イブン・イスハークの執筆意図を重視していることが述べられた。
『ムハンマド伝』は天地創造以来最大の出来事である、イスラームの成立(神がムハンマドを選び啓示を授けたこと)とそれを巡るさまざまな要素を叙述したものである。
本質的には本書は「物語」であり、歴史的真実をここから読み取ることは出来ないが、講演者はアラブ人の名前の構造を引きながら父祖が個人の人格の一部と考えられていた背景を踏まえ、全体としてみれば、神がムハンマドを、ひいては彼に連なる父祖、支援者らを選んだのであり、ムハンマドが生まれながらに神に保護されていたことを述べる内容となっていることを指摘した。講演はさらに叙述の基本的な形式や、人名列挙へのこだわりが見られる点など特色を挙げ、締めくくられた。
第四講演:「文書は語る」/ 大河原知樹(東北大学)
15世紀以降、オスマン朝期に急増したイスラーム法廷文書は史料としての利用価値が注目されつつある。講演では、イスラーム法廷及び文書についての概説と、文書をいかに読むかという実践的な内容がダマスカスの大法廷の例をもとに豊富な史料をひきつつ論じられた。
イスラーム法廷文書は、時代差・地域差はあるものの、ダマスカスの例で言えば、当事者に授与される証書と、証書の記録として保管される台帳の二種類に分けられる。また、イスラーム法廷の業務は、訴訟に加えて、司法・公証、結婚・離婚・相続、宗教寄進財産や教育機関の監督、勅令の受領・記録、上奏書の作成、徴税請負・「国有地」の管理、軍役や自然災害への対応、公定価格設定、ギルドの監督、宗教行事の日程確定など、多岐にわたる。このような概要の説明の後、現代の意味での司法権力とイコールではないことが指摘された。
ついで「法廷文書の“語り”」と題し、事例の紹介に移った。勅令・上奏書などの「公的な“語り”」、また、関連する複数の訴訟例が示され、これらからコミュニティや官吏たち、そして家族の中の内紛や歴史が推測できることが具体的に説明された。
合同集会は、各拠点の分担者・協力者が一同に会して交流する機会であり、拠点外の研究者・学生や、一般の方々にプログラムの研究事業及び研究内容を紹介する機能も持つ。この規模の交流の機会は限られていることもあり、主催側としては集客状況も気にしていたが、幸い当日は150人近くの聴衆が集い、講演者の巧みな語りに笑い声があがる場面もたびたび見られた。最新の研究成果や専門的な事項を含む内容ながら、どの講演者も平易に解き明かしていくことに意を注ぎ、理解しやすくまた楽しい講演だったと思う。
文責 柳谷あゆみ(人間文化研究機構/東洋文庫)
(2010年7月30日更新)