第6回 中央アジアの法制度研究会 (2009/11/28-11/29)

本研究会は、中央アジアにおける前近代からソ連期にいたる法制度の変遷をテーマに、イスラーム法、ロシア・ソ連法の研究者が参加して、文字通り学際的で稔りある会になることを願って開催するものです。
今回は、科研費による「文書史料による近代中央アジアのイスラーム社会史研究」、及び、イスラーム地域研究東洋文庫拠点の研究プロジェクトの一環として研究会を企画しました。
下記の通り第6回研究会は開催されました。

[主催]京都外国語大学国際言語平和研究所
[共催]NIHUプログラム・イスラーム地域研究東洋文庫拠点
[日時・会場]
【1日目】
11月28日(土) 13:00-18:00(終了後、懇親会)
会場:静岡大学人文学部E棟・E101教室  〒422-8539 静岡市駿河区大谷836
【2日目】
11月29日(日) 9:30-12:00
会場:静岡労政会館・5階・第3会議室 〒420-0851 静岡市葵区黒金町5-1

《プログラム》
【1日目】
13:00-13:15 堀川 徹(京都外国語大学)「挨拶・趣旨説明」
出席者自己紹介
13:15-14:45 宮下修一(静岡大学)・朱 曄(静岡大学)
「日本・欧米・中国の裁判制度の概観」
14:45-16:15 伊藤知義(中央大学)
「社会主義時代および体制転換以降のロシア・中央アジアの裁判制度――民事裁判を中心に」
16:15-16:30 休憩
16:30-18:00 杉浦一孝(名古屋大学)
「社会主義時代および体制転換以降のロシア・中央アジアの裁判制度――憲法・刑事裁判を中心に」
18:30-20:30 懇親会(会場未定)
【2日目】
9:30-12:00 大江泰一郎(静岡大学名誉教授)「西欧とロシアにおける裁判-近代までの概観」
参考文献:大江泰一郎「ロシア史における訴訟と社会秩序――比較法文化史的考察」歴史学研究会編『紛争と訴訟の文化史』青木書店 2000、201-234頁

[概要]
第6回の中央アジアの法制度研究会は、5人の報告者、14名の参加者を迎えて行われた。前回と同様法律、歴史を専門とするおもに中央アジア、ロシア、東アジア、南アジア、中東、日本をフィールドとする研究者が集まった。
会の冒頭における堀川徹氏(京都外国語大学)の趣旨説明に続いて、宮下修一氏(静岡大学)より日本・欧米、朱曄氏(静岡大学)より中国それぞれの裁判制度に関する報告がなされた。
構成は以下のとおりである。

(宮下氏の報告)
1.裁判とその周辺の諸制度
2.現代裁判の諸原則
3.陪審制・参審制と裁判員制度
(朱曄氏の報告)
1.歴史的側面
2.法源の多様性
3.司法機関および紛争解決のルート

宮下氏は、日本および欧米における裁判制度の概観および相互の共通・相違点、さらに裁判以外の紛争解決制度について説明したうえで、現在日本で問題となっている裁判員制度に注目して報告を行った。
とくに日本の裁判員制度と英米の陪審制、欧州の参審制との比較において、一般国民から選任される点はすべてに共通するが、日本の裁判員制度は、有罪・無罪だけではなく有罪の際の刑の内容まで決定する点で陪審制と相違があり、事件ごとに無作為で裁判員を国民から選出する点で参審制とも異なる。
さらに日本の裁判員制度の問題点として、裁判員が仕事を休むことによって生じる不利益を防げるのか、裁判員の守秘義務がその心理的負担を招くのではないか、裁判員の個人情報は保持されうるのか、国民の意識は制度に肯定的か、などの点が挙げられた。

続いて朱曄氏は中国の裁判制度の歴史的側面、つまり儒教的な考えの影響と共産党政権の成立による歴史的断層の存在を指摘し、さらに共産党成立以降、党規が国法に優先する状況は変わらず、文化大革命以降少なくとも表面的には党政分離の原則から法治主義に転換したものの、いまだに制定時に非公開、のちに公開される党規が重要な要素であり続けていると述べた。
また司法機関の説明に続き、裁判以外の紛争解決ルートとして国内仲裁制度、渉外仲裁制度、人民調停制度などの説明がなされた。
中国において文化大革命後1980年代前半まで民事紛争の8割を解決してきた人民調停制度が、現在役割を果たせなくなりつつあるという朱曄氏の報告には驚きが寄せられた。そしてロシア、クルグズにおいても同様な制度が現在衰退期にあると指摘され、その共通の原因として市場経済化→共同体の崩壊→人々の流動化→調停制度の崩壊というプロセスがあるという解釈が妥当か、という問題提起へと進んだ。この点に関して、清代の訴訟の多さから、中国が元来「訴訟社会」であった可能性が指摘される一方、「中国」の地域的多様性も無視できず一概に論じるのは危険であるとの意見が出された。

続いて伊藤知義氏(中央大学)よりロシア・中央アジアの民事裁判制度についての報告が、以下の構成で行われた。
1.ソ連時代の裁判制度
2.ウズベキスタンの裁判実務の実態、問題点
3.ロシアの民事訴訟における近代法原則との乖離

伊藤氏は、ソ連の裁判所の機能を概観し、ソ連・中国においては適法性、実体的真実、社会的・国家的利益および訴訟当事者の利益保護といった観点から裁判が制約を受け、裁判所が民事訴訟に積極的に関与する点で、日本の処分権主義・弁護主義の強さとは異なると指摘した。さらにソ連の裁判制度の影響が強く残るウズベキスタンおよびロシアの裁判制度に触れ、外部からの裁判干渉、裁判官の証拠調べの不十分さ、当事者の主張を待たずに職権で法律を適用する裁判所の姿勢などの問題点が示された。

質疑では「無効の法律行為の無効の結果の適用についての請求」について、ロシア民法の規定とイスラーム法との共通性に関する議論がなされた。つまり民事と刑事を別とする原則のもと、報酬目的で殺人を犯し起訴された人物が、民事裁判においてその報酬の受取を要求して訴訟を起こすことができるという事例と、イスラーム法上禁止されている飲酒により記憶を失い妻に離婚を宣言してしまった人物が、飲酒による記憶の喪失を理由に離婚を無効とする判決を受けた事例とが対比されたのである。

つぎに杉浦一孝氏(名古屋大学)より中央アジア・ロシアの刑事裁判制度についての報告が以下の構成で行われた。
1.スターリン批判後の刑事裁判制度と憲法保障制度
2.ペレストロイカ時代の司法制度改革
3.1933年ロシア憲法制定後の刑事裁判制度改革

杉浦氏は、憲法保障制度、刑事裁判における裁判所の位置づけ、裁判の進行、刑事裁判の地域的特色(カバルダ・バルカル共和国の事例)などの基本事項を説明したうえで、ペレストロイカ期以降の司法制度改革の進展を論じた。とくに国家による犯罪者の社会からの隔離を目指す懲罰的裁判から犯罪者の教育と社会への復帰を目指す修復的裁判へという世界的な流れの中で、ロシアとウズベキスタンの刑事法に和解制度が導入された意義が強調された。
この和解制度の導入の背景について、ウズベキスタンに事例に関し、①マハッラの調停機能への期待、②懲罰的裁判から修復的裁判へという世界的潮流との合致、があったと考えられるとの意見が出されたが、一方で民事裁判の動向と併せつつ視点を変えて見ると、民事が当事者主義から離れていく一方、刑事が当事者主義的になるという、世界的潮流からの逆行現象としてとらえられうる、との指摘がなされた。

最後に大江泰一郎氏(静岡大学名誉教授)より西欧とロシアの裁判の史的考察が、以下の構成でなされた。
1.本報告の課題
2.旧稿の要旨とその敷衍
3.方法の問題

大江氏の報告は、大江泰一郎「西欧とロシアにおける裁判―近代までの概観―」および同「ロシア史における訴訟と社会秩序―比較法文化論的考察―」の議論を発展させる形で進められた。
そして中央アジアに強い影響を残すソヴィエト法の妥当のプロセスにおいて、イスラーム法の伝統は適合的な素地をなした面が強いのではないか、という論点の提起がなされた。とくに「カーディー裁判」を根拠に予測不可能な法体系としてイスラーム法をとらえる方法への疑義が呈され、そこから西欧の法の枠組でイスラーム法を理解、ひいては中央アジアにおける裁判、法制度を理解することは難しいのではないか、との主張が展開された。

大江氏の提起に対して、おもに19世紀から20世紀にかけての中央アジアにおける裁判での具体的事例が挙げられ、イスラーム法の法体系が「予測可能か、不可能か」、イスラーム法の固定化をどうとらえるか、といった問題に対する最新の議論が紹介された。

今回の研究会は、法学の第一線で研究を行う研究者による裁判制度に関する報告が続いたが、いっぽうで裁判の社会への位置づけがつねにフロア全体の問題意識として共有されていたと思われる。つまり裁判に至る前に共同体内で当事者間の和解を成立させようとする働きも重視すべきであり、歴史学研究においては、法廷文書に書かれていない人間関係に留意すべきことがたびたび述べられていたように思われる。
裁判制度を人間関係を調整する機能として整備するという現代社会の要求、一方で史料としての法廷文書の裏側にある人間関係への注目という歴史学の課題のもつ重要性が具体的な事例や議論にもとづいて参加者に共有され、歴史学、法学双方の立場から社会における裁判の位置づけに関する比較研究の可能性が拓けてきたように感じられた。

(文責:塩谷哲史 筑波大学大学院人文社会科学研究科)

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