東洋文庫拠点共催特別講演会(2008/06/27)

東洋文庫との共催で下記の特別講演会を開催いたしました。

[講演]「オスマン朝期アレッポにおける都市空間と地方行政」
Urban Space and Local Government in Ottoman Aleppo
[講演者] シュテファン・クノスト氏
Dr. Stefan KNOST (日本学術振興会特別研究員・東洋文庫特別研究員)
[日時] 2008年6月27日(金) 15:30-17:00
[場所] 東洋文庫三階講演室   >>会場アクセス
[司会] 三浦 徹氏(お茶の水女子大学・東洋文庫)
[使用言語]英語(通訳なし) ※日本語レジュメ有

日本語レジュメ提供
報告者のご好意により、本報告で配布されたレジュメをご提供いたします。
>>レジュメのダウンロード

[概要]
シュテファン・クノスト氏は2006年11月に来日し、1年8ヶ月のあいだ東洋文庫にて研究を進めてこられたが、このたびベイルートの東洋学研究所に研究員として着任されることになった。本講演は氏の東洋文庫における研究最終報告にあたる。英語講演であるにもかかわらず約40名の聴衆を集め追加の座席を用意する盛況となった。Exif_JPEG_PICTURE

報告に当たって、クノスト氏はまず「空間」を社会的カテゴリーとして捉えなおしたルフェーブルらによる社会学的空間論を敷衍し、「都市空間」とは、都市を定義・構築し、特定の規範や行為や特有の建築によってその周縁から隔てている「空間」の重層的な認知であるという見方を示した。そして「地方行政local government」とは、空間を都市として機能させていく行為であると定義した上で、この二つの概念の関連から、オスマン朝期アレッポの都市空間を読み解いてみせた。
オスマン朝期アレッポという都市空間の特性を表すものとして以下の3つが取り上げられ、その創成を支えた都市制度との関連と空間の構築に深く関わった人物の解説を加えて報告が行われた。

Exif_JPEG_PICTURE①ムディーネ:ワクフ(イスラームの宗教寄進財産)と「帝国の空間」
アレッポ中心部のムディーネ(市場区域)は、オスマン朝期に一大変容を遂げた都市空間ということができる。ムディーネの構築には16世紀後半に相次いだ巨大ワクフ設立が深く関わっているが、クノスト氏は最大のワクフ設立者であるソコルル・メフメット・パシャを取り上げ、その寄進行為の意図について考察を述べた。
ソコルル・メフメット・パシャはムディーネのハーン・アル・グムルクを中心とする地域にワクフを設定している。彼のワクフは、生地であるバルカン半島に最も多く設定されているが、ビラード・アッ・シャーム(大シリア)での寄進を調査すると、彼がこれらのワクフを設定することで、アラブ地域の開発と、アラブ地域のオスマン帝国への統合強化の二つをもくろんでいたことが見て取れる。さらに彼の寄進行為からは、ムディーネという空間の創設によって、強化が期待された「帝国の空間」をも認知できる。

②都市空間としての街区(マハッレ):街区の長と街区の寄進財産
第二は街区(マハッレ)である。街区の制度として、街区の長と街区のワクフが挙げられ、説明が加えられた。アレッポでは街区(マハッレ)の長はイマーム(モスクのイマームとは別)と称され、街区住民によって選出され、カーディーによって任命された。イマームの職能は明確ではないながら、税や賦課金について、街区を代表する役割を担っていたものと思われる。また、文書資料では「街のシャイフ」という呼称を持つ官吏がおり、街区とオスマン朝官僚の仲介者として徴税業務についていたらしいことが見て取れる。
また、街区ではワクフが設定されており、貧しい住民の税金の支払いや、街区内の保安業務への支出のほか、街区外でも水道設備の維持等への支出がこのワクフで賄われていた。

③都市の宗教空間:モスクに帰属する共同体とスーフィー教団
街区は徴税単位であると同時に宗教的な単位としても認識できることもあるが、アレッポにはスーフィー教団を介する結びつきをもとに街区を超えて「スーフィー教団による」空間を構築するケースや、一つの街区に複数の宗教的組織が含まれるケースもみられる。
クノスト氏はアレッポのジャッルームの街区を取り上げ、スーフィー教団が街区の枠を超えて影響力を有した例として、ハルワティー教団系のシャイフ・イブラーヒーム・アル・ヒラーリーの事例の説明を行い、また、モスクのイマームでありながら、キリスト教徒住民に関わる事案についての証人や法定代理人として活躍し、ムスリム商人・キリスト教徒商人の利益を巡る仲介役を果たしたシャイフ・ハサンの事例から、彼の活動を中心とする諸宗派・諸宗教の共同空間の認知を指摘した。

Exif_JPEG_PICTURE報告は、地図や写真資料など豊富な画像資料を用い、街区の位置関係やワクフが設定されたモスクなど具体的に示しながら行われた。最後にクノスト氏は、イスタンブルの街区を取り上げているジェム・ベハールの研究を引きながら、今回の報告で用いた「空間」の概念が、今後のオスマン朝期の都市史を研究していく上での有効性を述べて報告を締めくくった。

報告後はクノスト氏ご夫妻の送別会を兼ねた懇親会となった。二年弱という滞在期間であったが、クノスト氏の精力的な研究活動、研究交流は、東洋文庫拠点の活動を支え、また大きな刺激を与えてくれた。また、クノスト夫人は積極的に日本文化に親しまれながら、アラビア語雑誌のコンテンツ入力を担当くださり、その確実な仕事のおかげで当拠点のコンテンツサービスは実施にこぎつけることができた。この二年間、夫妻の暖かなキャラクターに親しんだ方も多いと思う。仕事の面でも個人的な交流においてもお二人への感謝は言い尽くせるものではないが、まずはこれからの交流の発展とお二人の成功をお祈り申し上げたい。

文責 柳谷あゆみ(人間文化研究機構 / 東洋文庫)

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