第24回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」(2025/7/5〜6)報告

第24回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が、科研費(基盤研究(B))「ロシア帝国領中央ユーラシアにおける家族と家産継承」(研究代表者:磯貝健一)により開催されました。その実施報告を掲載します。

 

【概要】

2025年7月5日(土)および6日(日)に、第24回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が、京都大学文学研究科附属文化遺産学・人文知連携センター羽田記念館での対面とオンライン(Zoomミーティング)を併用したハイブリッド形式で開催された。5日の13:30~15:40には「トルキスタン統治規程」研究会、16:00~18:30には塩野﨑信也氏(龍谷大学文学部)による研究報告が行われた。対面参加者は11名、オンライン参加者は6名であった。

前半の「トルキスタン統治規程」研究会では、第41条から第46条までの訳文検討が行われた。第43条からは第3章の地方行政機関にかんする条文に入り、訳文の担当者も磯貝健一氏から畠山禎氏へと移った。第46条については原文中の用語に関連する史料を磯貝健一氏が発見し、その検討が今後の課題となったため、本条文の訳文の最終決定は次回以降へ持ち越しとなった。

後半は、塩野﨑信也氏により「ロシア帝政期南東コーカサスにおけるシャリーア法廷の管轄」と題する研究報告がなされた。こちらの報告は、ロシア帝国支配下の南東コーカサス(現在のアゼルバイジャン共和国にあたる領域)におけるシャリーア法廷、つまりカーディーの主宰で主にイスラーム法に基づく審理が進められる裁判所にかんして、条文に依拠して制度上の管轄を整理しつつ、法廷文書を用いることで実際の運用での管轄について復元と検討を試みるものであった。これは、ロシア帝国の法多元性について南東コーカサスの事例を提供するという塩野﨑氏の問題意識に基づいている。

最初に制度の変遷が触れられ、ロシア併合後にシャリーア法廷の管轄は主に婚姻と遺産にかかわる係争のみに限定されていったことや、1872年の規程でシャリーア法廷の組織構成が整備されたことなどが確認された。続いて離婚と財産権の関係に焦点が当てられたが、これについては以下のように規定されており、実際にそのとおりに運用されていたと見られるという。婚姻の締結と解消はシャリーア法廷が管轄するが、扶養料の請求や(元)配偶者の財産の処遇など、財産権に関する事項は一般法廷(帝国共通の一般法に基づく裁判所)の管轄であった。後半には強要や欺罔による婚姻についても扱われた。こちらについては、まず刑法を管轄する一般法廷が事件を審理し、その内容の通達を受けてシャリーア法廷が婚姻の有効性を審理するのが、条文から解釈できる手続きの流れである。しかし実際の事例に目を向けると、制度とは異なる(と思われる)運用がしばしば見られるという。最後には、シャリーア法廷の制度上の管轄が改めて整理された上で示され、さらに制度と実態との齟齬について問題提起がなされた。そしてこれを乗り越えていくべく、さらなる関連文書の調査・精査や、シャリーア法廷の判決執行にかんする他の地域や時代との比較検討が、今後の課題として挙げられた。

報告後の討論では、まず討論者の磯貝健一氏がロシア帝政期のトルキスタンにおける裁判管轄について紹介した。当事者は双方の同意によって法廷を任意に選択していた可能性があることや、一般法廷で扱う刑事事件のシャリーア法廷への移送の可否はおそらくロシア当局が判断していたことなど、ここで挙げられたトルキスタンの法制の特徴と対比することは、南東コーカサスの事例を特徴づけていく上でも大いに示唆を与えるだろう。続いて参加者からの質疑に移り、用語についての確認や提案が法学を専門とする参加者たちからなされたほか、南東コーカサスにおけるロシア帝国とイスラーム法との関係という広い視野からの質問が多く出された。塩野﨑氏はこれらの応答の中で、ロシアがイスラーム法を縮小させていったという捉え方は一面的であり、より複雑な関係性・経過であったという見解を強調した。また最後にはこれに関連して、畠山禎氏と磯貝真澄氏より、ロシア帝国がシャリーア法廷を置いていたことについて帝国の意図または現地住民の意思をどれほど・どのように見出すべきかという論点が提起されるなど、時間をやや超過して白熱の議論が続けられた。

翌6日の10:00~12:00に京都市内会議室で行われた研究打ち合わせ会議には8名が出席し、令和7年度の研究計画が共有され、その後の研究計画についても意見が交換された。

(文責:椎名旺快・北海道大学大学院文学院修士課程)

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