第13回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」(2019/11/16)報告
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第13回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会は、科研費「近代中央アジアのムスリム家族とイスラーム法の社会史的研究」(基盤研究(B)・研究代表者:磯貝健一)の助成で開催しました。以下に報告を掲載します。
【概要】
2019年11月16日(土)、京都大学文学研究科附属羽田記念館(京都市)で、第13回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が開催され、19名の研究者が参加した。研究報告として、1) ロザリヤ・ガリポヴァ(Rozaliya Garipova)氏(北海道大学スラブ・ユーラシア研究センター、ナザルバエフ大学・助教)による「Divorce with Missing Husbands: Rizaeddin Fakhreddin, his Collection of Fatwas and Reform within Islamic Tradition in Imperial Russia」、2) 秋葉淳氏(東京大学東洋文化研究所・准教授)による「Missing Husbands, Abandoned Wives: Judicial Practices in Eighteenth-Century Ottoman Anatolia」に引き続き、調査報告として、和崎聖日氏(中部大学人文学部・講師)、磯貝健一氏(京都大学大学院文学研究科・教授)による「ウズベキスタンでの聞き取り調査報告:2019年 2 月および 2019 年 8 月実施分」が行われた。
研究報告1) ガリポヴァ氏の報告では、リザエッディン・ファフレッディン(1858-1936)の事例を基に、ロシア帝国支配下における法学論争について、同時代の他の地域における事例とも比較しながら検討された。ヴォルガ中流域・ウラル南麓で活動したウラマーであり、ムフティーも務めたリザエッディンは、流刑者・失踪者である夫を持つ女性の離婚・再婚に関して、同時代の他の地域の法学者たちに比べて、(特定の法学派を絶対遵守するのではなく)比較的柔軟な判断を下していたとガリポヴァ氏は評価する。今回の報告では、リザエッディンによる寡婦をめぐる法判断の事例に留まらず、オレンブルグ・ムスリム宗務局の役割や、近代化の中で地方のイマームやアーフーンドたちの直面した問題についても考察が広げられた。研究報告2) 秋葉氏の報告では、18世紀のオスマン朝下アナトリアのいくつかの地方都市におけるファトワー集を基に、失踪した夫を持つ女性の離婚・再婚をめぐる事例が紹介された。古典的なハナフィー法学派のフィクフのテキストとの比較と共に、個々の問題に対する地方都市の法学者たちによる裁定の実態が検討された。オスマン帝国の中心たるイスタンブルでの判決と、地方の司法制度や地域コミュニティーとの連関性についても考察がなされた。両報告の後の総合討論では、多くの質問が寄せられ活発な議論が展開された。一例をあげると、宗務局が出したファトワーを公式のものとしつつ、リザエッディンが収集したようなイマームたちの意見等を研究者が「モダン・ファトワー」と呼ぶことが適切か否かについて質問があった。
続く調査報告では、最初に磯貝氏よりウズベキスタンでの調査の趣旨や本報告のねらいなどが説明された後、和崎氏より具体的な調査結果についての報告がなされた。主に、婚姻や相続などのテーマに関するシャリーアの規定とその運用について質問項目を立てたことから、今回はインフォーマントとしてイスラーム高等学院出身者やイマーム等の職にある人々、合計8人が選ばれた。2019年2月、8月にそれぞれ行った聞き取り調査において各インフォーマントから語られた、私有財産が禁じられていたソ連体制下におけるマフルの慣行や現代のウズベキスタンにおけるシャリーアにおける相続の規定の適応の実態などの事例が紹介された。磯貝氏は、今回の調査結果全体の印象として、インフォーマント個人の経歴が発言に大きく影響しているということを挙げ、調査中に見受けられた、事実の有無にとらわれない個人の願望を含む発言やソ連時代の経験に左右されるインフォーマントの態度などについても言及しながら、今回の調査を振り返った。また、今後のインフォーマントの人選に関しては、現地のコーディネーターの提案とも合わせて検討中であるとした上で、今後の展開についてもフロアからも積極的に意見や質問が寄せられ、活発な議論が行われた。
(2019年11月27日更新)