近代中央ユーラシア比較法制度史研究会(2015/11/14)報告

科研費「近代中央ユーラシア地域における帝国統治の比較法制度・法社会史的研究」(基盤研究(B)・研究代表者:堀川徹)とイスラーム地域研究東洋文庫拠点の共催により、第6回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」を開催しました。

日時・場所: 2015年11月14・15日(土・日)

□14日(土)13:30~18:30 静岡市産学交流センター(B-nest)・小会議室2
□15日(日) 9:30~12:00 静岡駅パルシェ貸会議室・特別会議室2

【プログラム】
■14日(土) ※ロシア語通訳あり。

13:30~13:45 開会挨拶(堀川徹)・出席者自己紹介
13:45~14:45 研究報告(1)

ウルファトベク・アブドゥラスーロフ氏(オーストリア科学アカデミー・イラン学研究所)
「『それで、裁判官は誰?』:19~20世紀初頭のホラズムにおける法実践についての考察」

14:50~15:50 研究報告(2)

サンジャル・グラーモフ氏(ウズベキスタン国立タシケント東洋学大学東洋写本センター)
「Risāla-yi saudāgarān:商業の規則か、倫理か?」

16:10~17:10 研究報告(3)

ヌールヤグディ・トショフ氏(同・東洋写本センター)
「シャイバーン朝ウバイドゥッラー・ハーンのヘラート遠征の法的論拠」

17:15~18:30 コメントと質疑応答: コメンテーター シャリーファ・トショヴァ氏(同・東洋写本センター)

19:00~ 懇親会

■15日(日)

9:30~12:00 研究成果公表についての会議

【概要】

第6回を迎えた近代中央ユーラシア比較法制度史研究会は、2015年11月14日(土)に静岡県産学交流センターで研究発表が行われ、翌15日(日)には静岡駅パルシェにおいて今後の研究成果公表に関する会議が開かれた。

14日の例会には法学・歴史学双方の分野から海外からの留学生を含む専門家26名が参加し、ウズベキスタン人研究者三名による研究発表が行われた。

第一の報告者ウルファトベク・アブドゥラスーロフ氏(オーストリア科学アカデミー・イラン学研究所・研究員/ウズベキスタン科学アカデミー歴史研究所・上級研究員)は、ホラズムの文書館に所蔵された文書史料を基に、19~20世紀初頭のヒヴァ・ハン国における請願(ʻarḍ-dād)の手続きを検証し、当時のホラズムにおける法実践のあり方を指摘した。請願の手続きとしては、まずヒヴァ・ハン国中央に対して請願が提出されると、ハンは近習の一人をヤサウルバシに任命し、請願先の地方に向かうよう命令書を発布した。現地で裁定が行われた後、県知事(ḥākim)がヤサウルバシ宛に報告書を書き、その請願がどのように処理されたかを中央に伝えた。氏は、請願による裁定が各地の慣習に基づいて解決されていたこと、ヤサウルバシは実際には裁定者としてではなくハンの権威の代表者として裁定の場に立ち合い、その結果をハンが追認する形をとっていたことを指摘した。質疑では、江戸時代の農村での裁きに関与した中央の役人の役割との共通点を指摘する意見が出るなど、地域・時代を越えて共通する法実践における中央と地方との関係が喚起された。

続いて、サンジャル・グラーモフ氏(ウズベキスタン国立タシケント東洋学大学東洋写本センター・上級研究員)は、東洋写本センター所蔵の写本群の中から新たに発見した『商人の論考(リサーラ)』という作品の紹介を行った。まず、これまでも特定の職業に関する手引書というジャンルそのものは研究対象となってきたが、この『商人の論考』は従来知られていない作品であることが確認された。また、本作品の構成については、もし誰かが「~」と問うならば我々は「~」と答える、という問答形式で書かれていること、内容面の特徴としては、法学書の売買の章にみられるような法的規定ではなく、商業に携わる者に対する道徳的・倫理的な忠告であることを指摘した。さらに、氏は、この作品が収められた集成写本には、商業とは直接関係のない内容を持つ複数のリサーラが含まれているが、それらがいずれも旅と深い関わりを持つことから、集成写本の作成を依頼した人物は行商人ではないかと推定している。質疑では写本作成年代に関する質問が挙がるなど、写本成立の背景を作品の内容とどのように関連付けられるのか、といった今後の課題となる問題意識も提示された。

次に、ヌールヤグディ・トショフ氏(同・東洋大学東洋写本センター・上級研究員)は、シャイバーン朝第3代ハン、ウバイドゥッラーがサファヴィー朝支配下のヘラートへの遠征を行う際にどのような法的根拠を用いたのかを検証した。この問題に関して、氏は東洋写本センター所蔵写本の中から、マーワラーアンナフルのムフティーであったシャムスッディーン・ムハンマドがウバイドゥッラーの要請で記したという論考(リサーラ、1538年完成)と、シャイバーン朝アブドゥッラー2世治世の1588年に発行されたファトワーの写しを発見し、それぞれの内容分析を行った。この2つの史料は共に、シャイバーン朝によるヘラート遠征を正当化するため、サファヴィー朝支配下のヘラートがイスラーム法上「イスラームの館」と「戦争の館」のいずれに属しているか、サファヴィー朝のシーア派信仰がいかにシャリーアから逸脱したものであるかを論じたものであった。一方、二つの史料を比較した結果、論考にのみみられる特徴として、「反乱の館」という第三のカテゴリーを用いて、サファヴィー朝に対する攻撃の法的根拠を示している点が挙げられる。こうした史料が作成された背景には当時のマーワラーアンナフルにヘラートへの遠征を聖戦とみなすことに反対する学者が存在したこと、一方で政権とそれに協力する法学者たちのプロパガンダによってサファヴィー朝を不信仰者とする風潮が広まっていったことを指摘した。

今回の研究会で各報告者が披露した、高度な読解力に基づく史料分析と独創的な着眼点は、新しい史料の発見と合わせて、法制度史研究により広い視野を提供するものであったといえよう。各報告者の発表だけでなく、其々に対する質疑でも活発な議論が行われ、報告会は盛況のうちに幕を閉じた。

翌15日には、現在助成を受けている科研費による研究成果を含め、これまで続けてきた共同研究の成果をまとめて学術論集を作成・公刊することについて話し合いが設けられた。その中で、論集のテーマ、執筆者、それぞれの執筆予定内容について、意見交換と方向性の確認が行われた。

(杉山 雅樹)

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