近代中央ユーラシア比較法制度史研究会(2015/06/20)報告

科研費「近代中央ユーラシア地域における帝国統治の比較法制度・法社会史的研究」(基盤研究(B)・研究代表者:堀川徹)では、イスラーム地域研究東洋文庫拠点との共催により、以下の要領で第5回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」を開催しました。


日時: 2015年6月20日(土) 14:00~20:30
場所: 京都外国語大学国際交流会館4階会議室(No.941)
京都市右京区西院笠目町6
【プログラム】
14:00~14:10 開会挨拶 (堀川 徹)
14:10~14:20 出席者自己紹介
14:20~15:50 研究報告・質疑応答(1)
承 志 (追手門学院大学国際教養学部・准教授)
「旗人の越訴について:チサン事件を中心に」
15:50~16:10 コーヒーブレーク
16:10~17:40 研究報告・質疑応答(2)
磯貝 健一 (追手門学院大学国際教養学部・教授)
「史料としての帝政期中央アジアのシャリーア法廷判決台帳」
17:50~18:20 総合討論
18:30~20:30 科研費による研究計画に関する会議
20:30~    懇親会

【報告】

研究会参加記

2015年6月20日、近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が京都外国語大学において、イスラーム地域研究東洋文庫拠点の共催のもと開催された。この研究会は2013年度以来、科研費研究課題「近代中央ユーラシア地域における帝国統治の比較法制度・法社会史的研究」(基盤研究(B)・研究代表者:堀川徹)の始動にともない前身の中央アジアの法制度研究会を引きつぐかたちで定期開催されてきたものであり、例会は今回で5回目をかぞえる。この研究会はまた、堀川徹氏(京都外国語大学教授)が長年にわたって指揮する中央アジア古文書研究プロジェクトとも連動しており、やはり定期開催されイスラーム法廷文書を主対象としてあつかう中央アジア古文書研究セミナーとともに、中央アジアひいては中央ユーラシアの法制度を原史料にもとづいて研究する取り組みの、わが国における最先端の成果発信の機会となっている。

今回の研究報告は勤務先をおなじくする承志氏(追手門学院大学准教授)と磯貝健一氏(追手門学院大学教授)の二名によっておこなわれた。

大清帝国史研究の専門家である承志氏は、「旗人の越訴について:チサン事件を中心に」(事前に告知された論題から一部変更)と題し、黒龍江沿岸地域のブトハ八旗におけるチサン事件(1795年/乾隆60年)を例に旗人(八旗に属する人々を民族の別にかかわりなく指す呼称)による越訴のもつ意味を検討した。ブトハ八旗は狩猟を生業として営む人々の集団であり、軍役のほか清朝皇帝に毛皮を貢納する義務を負っていた。チサン事件とは、ブトハ八旗の副総管チサンらが同八旗を管轄する黒龍江将軍やその配下の武官による苛斂誅求とそれによる旗人の窮状とを、熱河(避暑山荘)から北京への帰途にあった乾隆帝のもとに参じて訴えたことに端を発する一連の出来事のことである。氏は史料上にみられるヌルハチ以来の諸君主の治世における類例をふまえながら、チサンらのおこなった乾隆帝への直訴もまた越訴あるいは代表越訴と呼びうる事例であるとする。満洲語と漢語の史料を博捜・渉猟してきた氏によれば、八旗法制史にかかわるいくつかの重要史料(とくに档案館所蔵文書)はほとんど未開拓のままである。この報告では研究利用に依然付されていないそうした史料のうち、とくにブトハ八旗側から奉呈された上奏書、およびそこに述べられた訴えに関する審理結果と処断内容の報告書(いずれも満洲語)を丹念に読み解くことで事件の経緯があきらかにされた。

ブトハ八旗側からの訴えは8箇条からなり、上奏書には同八旗を管轄下におく将軍ら上級武官たちによる搾取や彼らから不当に負わされた過重な負担が縷々箇条書きにされている。この訴えは審理対象とされ、中央派遣の役人によって現地でくわしい取り調べが実施された。担当官の報告書によれば8案件のうち6案件が事実としてみとめられ、その結果、黒龍江将軍ら訴えられた武官たちは厳罰に処された。しかしながら、越訴という行為自体が違法であるという原則(律例に処罰規定が明文化)にもとづいて、チサンらこの越訴にかかわったブトハ八旗の指導層も処罰された。また同時に、同八旗の軍事負担を軽減させる措置もとられた。

以上のような事実関係をふまえて承志氏は、越訴の続発とそれによる秩序の混乱をおそれた清朝中央はこれを違法行為としてきびしく取り締まる立場を堅持したとの見方をしめすとともに、不正の訴えにさいし被告となる相手が当の裁判権をにぎる上級行政官自身であった場合に、越訴に代わるような訴訟上の手続きや制度を欠いたことが旗人社会の構造上の問題だったのであり、結局こうした場合の紛争解決手段は現実的には越訴以外にほぼなく、そこに越訴の歴史的な役割があったことを指摘した。また、越訴という法的に許容されない手続きにあたり、エジェン(ejen)とアハ(aha)という、清朝皇帝の敬称とその家臣の卑称を表す用語が上奏書においてことさら併用されていることには、皇帝との直接の主従関係のなかにみずからの陳情をおとしこむことで越訴を正当化しようとするブトハ旗人の意図が反映している点も指摘された。

報告後の質疑応答では、大きく分ければ二つの点に議論が集中した。一点目は越訴の定義と用語法の問題であった。用語法の妥当性に疑義を呈する質問に答えて承志氏が越訴は原史料においてじっさいに使われる用語・概念であることを例示したのにたいし、越訴についてはその語義の広狭に応じてこれを適切に分類・整理したうえで論じていく必要があるとの提言がなされた。その場の発言者たちによって言及された直訴や告発、法律用語としての請願といった諸用語は、越訴を定義づけ説明するうえで重要なキーワードになるだろう。二点目としては、法制史の枠組みにおいて越訴の事例研究を重ねることの意義が問題とされた。皇帝への直訴のような典型的な事例とはみなしがたい大きな事件の分析を制度史研究に役立てることには無理があるのではないかとの指摘がなされる一方、越訴は通常の律例のなかでは裁ききれない事柄を解決するための一つの手続きとして重要な意味をもち、制度史的な分析の対象にも十分になりうるだけでなく、清朝の地方統治のあり方を考えるうえでも有意義な事例を提供するはずだという指摘もなされた。これらの指摘は氏が今後の研究を発展的にすすめるうえでの課題と可能性を示唆するものといえよう。

二本目の報告を担当した磯貝健一氏は前述の中央アジア古文書研究プロジェクトの主要メンバーの一人であり、中央アジアのイスラーム法制史と古文書研究の両分野における世界屈指の研究者として知られる。磯貝氏の報告は、「史料としての帝政期中央アジアのシャリーア法廷判決台帳」と題しておこなわれた。元来シャリーア法廷の業務は契約の認証と裁判という二本の柱からなるが、帝政期の中央アジア(ロシア領トルキスタン)の法廷業務にはロシア植民地当局のイニシアチブにより台帳が新規に導入されたことで、契約の認証にかかる証書台帳と、裁判にかかる判決台帳とがそれぞれ作成され保存されるようになった。こうした台帳は紙片状の文書とならんで、あるいはそれ以上に、法制史・法社会史研究の史料として近年とくにその重要性が注目され、積極的に利用されるようになってきている。こうした研究動向をふまえて、磯貝氏の報告の目的は、帝政期中央アジアの判決台帳に記載される判決を同時期の各種紙片状裁判文書と照合することにより、史料としての判決台帳の特性をあきらかにすることにおかれた。氏はシャリーアの定める裁判制度の概要を裁判のフローチャートによって模式化してしめすとともに、各種の裁判文書の機能や書式上の特徴をかいつまんで説明したうえで、じっさいの裁判文書(とくに判決を記録するタイプのタズキラや審理途中に作成・提出されるタイプのファトワーなど)のテキストと判決台帳の記載内容およびフォーマットとを照査しながら本題の検討をおこなった。

氏によれば、史料としての判決台帳の特性は次の4点にまとめることができる。第一に、判決台帳はかならずしも当該年に当該法廷で提出されたすべての判決を記載するものではなく、一部の判決はその内容が証書の形式に変換されたうえで証書台帳に登録され、判決そのものは紙片状文書(判決のタズキラ)に記載され当事者に交付されたものと推定される。第二に、判決台帳は、(1)原告の主張内容、(2)審理の過程、(3)判決理由、(4)判決(一方勝利ないし和解)といった諸要素を可能なかぎり簡略に記載するものなので、ここに記載されない要素も多い(たとえば、「反訴(daf‘)」の語の有無、判決に直接関係のないファトワーなど)。第三に、判決台帳のテキストには精粗の差があるが、これは年代や法廷にのみよるものではなく、担当カーディーや書記の個人的な資質や書き癖にも左右される。第四に、判決台帳に記載される判決冒頭の日付は、おそらくは判決提出の日付であり、一つの事案についての審理がこの日に一括して実施されたわけではない。以上の諸点からは判決台帳が情報媒体としてある種の制約や欠陥をかかえていたことが確認できるだろう。台帳のそなえる情報の包括性や量的分析におけるその有用性を称揚する風潮なしとしない昨今にあって、紙片状文書と台帳のそれぞれに史料的な特性と意義または限界があることを認識すべきとの磯貝氏の提言は傾聴に値する。台帳を使いさえすれば裁判制度を再構成できるという考えが大きな誤解を含むことはいうまでもなかろう。氏は原告と被告がどれほどの時間と労力をかけて裁判をしたのか、それをあきらかにすることこそが裁判の再構成であると説く。氏の報告はそうした再構成の作業にとって紙片状文書が不可欠であることを実証するとともに、紙片状文書と台帳との併用が切り開く研究の地平に明るい見通しを与えるものだったといえる。

報告後の質疑応答は、おなじく中央アジア古文書研究プロジェクトのメンバーであり、法廷台帳の研究に取り組む矢島洋一氏(奈良女子大学准教授)が補足説明を適宜加えるかたちですすめられた。おもな質問とそれへの回答は大要以下のとおりである。

問い: 裁判にたずさわるカーディーやムフティーには専門的な職業的訓練の機会はもうけられていたのか。

答え: 職業的訓練は制度的に確認できず、訓練を受けたとは到底思えないような人物が法廷業務にあたっているケースも散見される。一定のフォーマットをそなえる台帳への登録作業は特殊な技能訓練を必要としない面もあった。

問い: 判決台帳と証書台帳はどのように作成され、どのように利用されたのか。

答え: 個々の裁判文書(およびありうべき手控え記録)や証書をもとにそれぞれの台帳がつくられ、トルキスタン地方統治規程にも定められるように、まず該当の紙片状文書のほうに番号が振られたうえで台帳への登録がなされた。台帳は紙片状の判決や証書の有効性を保証する参照項として機能し、そもそもはロシア当局がシャリーア法廷の業務を監視・把握するために必要とされていた。

問い: 判決が判決台帳に載録されるか否かの基準はあったのかどうか。また、判決台帳と証書台帳のいずれに載録されるかにそれほどの差異があったのか。

答え: 厳密な基準があったかどうかは不明である。この問題についてはひきつづき検討する必要がある。

問い: シャリーア法廷で裁判することにどのような社会的意味があったのか。

答え: 社会秩序の保全にとって法廷の関与する和解は有効であり、その意味で裁判から帰結するところの和解には社会関係を保つ意味があったが、個々の和解プロセスはかならずしも判然としないのも事実である。

今回の研究会には全国各地から30名近くにおよぶ参加者があり、そのなかには各分野の第一線で活躍する研究者が少なくなかったばかりでなく、清代モンゴル法制史を専門とする中国出身のモンゴル人研究者や清代モンゴル史を専攻するハーバード大学の大学院生、また、磯貝氏の報告の対象地域に相当するウズベキスタンからの留学生数名が含まれるなど国際色も豊かであり、両研究報告はすでに会の開催以前から幅広く関心を喚起していた。両報告者のいずれもが独自に披露した鋭い問題意識と高度な読解力に支えられた精緻な史料分析は、新知見の提供により参加者の関心をさらに刺激し、活発な意見交換の呼び水となって研究会を盛会へと導いたといえる。次回の例会は本年11月14~15日にウズベキスタンの研究者を報告者に迎えて静岡で開催することが予定されている。この研究会が今後も関係諸分野における先進的な研究の発展・深化に寄与していくことを期待したい。

(文責:木村暁)

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