共催研究会「近代・イスラームの比較教育社会史」(2012/12/9)

NIHUプログラム・イスラーム地域研究東洋文庫拠点は、科研費基盤C「オスマン帝国における教育の連続性と変化(19世紀~20世紀初頭)」(代表:秋葉淳)と共催で、研究会「近代・イスラームの比較教育社会史」(第3回)を、下記の要領で開催しました。

【日時】:2012 年12月9日(日)11:00~16:10
【場所】:東洋文庫2階講演室(東京都文京区本駒込2-28-21)

【プログラム】
11:00 趣旨説明
11:05 報告1 高橋圭(上智大学)「スーフィズムの知と実践の変容―エジプトの事例から」
12:05 休憩
13:20 報告2 磯貝真澄(京都外国語大学)「ロシア帝国ヴォルガ・ウラル地域の『新方式』教育」
14:10 報告3 島田志津夫(東京外国語大学)「ブハラおよびロシア領トルキスタンにおけるムスリム教育改革運動:その起源と展開」
15:00 休憩
15:20 総合討論
16:10 閉会

【概要】

2012年12月9日(日)東洋文庫2階講演室にて、研究会「近代・イスラームの比較教育社会史」が開催された。今年度この研究会は6月の第1回に続いて、第2回は10月の比較教育社会史研究会2012年秋季例会の「イスラーム部会」として開かれたので、3回目にあたり、昨年度からで通算5回目にあたる。今回は他地域の研究者を含む13名の参加者があり、活発な議論が行われた。

高橋圭氏による第1報告「スーフィズムの知と実践の変容―エジプトの事例から」は、18世紀から20世紀初頭までのエジプトにおけるスーフィズムの知と実践の変容過程を論じたものだった。氏は、19世紀においてタリーカに対する国家の管理統制が及んでバクリー家シャイフを中心とする管理制度が成立する一方で、アズハル学院の改革が学生数の増大を契機に行われた結果としてスーフィズム科目が排除されたことによって、ウラマーの担う学知を排除したスーフィズムという「領域」が形成されたと論じた。また、スーフィズムに対するラシード・リダーらウラマーの批判を紹介しつつ、彼らがスーフィズムの知と学知(イルム)とを対立的に捉える視点を内在化していたことを指摘した。

質疑応答では、とくにエジプトの特殊性とオスマン帝国「本土」との関連性について議論が行われた。また、19世紀における民衆(社会)とスーフィズムあるいはタリーカとの関わりや、タリーカ自身による改革の動きについて質問が出された。

磯貝真澄氏による第2報告「ロシア帝国ヴォルガ・ウラル地域の『新方式』教育」は、1880年代から1910年代までを対象とし、ヴォルガ・ウラル地域のムスリムの間で広まった「新方式」教育について、その方法と内容を指導手引書や教科書等に依拠して検討したものだった。はじめに、新方式教育を提唱したイスマーイール・ガスプリンスキーとオスマン帝国のセリム・サービト・エフェンディの著作を比較し、両者において、学級・学年制の導入と、発音(発声)方式を用いた新しい文字の読み書き教授法が重視されていたことを見いだし、ガスプリンスキーがオスマン帝国の初等教育改革を参照したことを確認した。次に、ヴォルガ・ウラル地域のいくつかの新方式マドラサ、マクタブの教育内容の特徴を指摘し、最後に、新方式教育における宗教・道徳教育の位置づけを検討し、イスラーム教育が新たな教材によって積極的に導入される一方で、内容的には道徳の教科書のようにマドラサの伝統を継承するものも存在していたと論じた。

島田志津夫氏による第3報告「ブハラおよびロシア領トルキスタンにおけるムスリム教育改革運動:その起源と展開」は、ブハラとサマルカンドに焦点を当てて新方式教育の流入と展開について検討した。まず、旧式の教育について確認した後、中央アジアへの新方式の流入の契機として、ガスプリンスキー本人の来訪よりも、在住タタール人の役割と、日露戦争期以降の新聞の普及が重要であったことを指摘した。続いて、サマルカンドとブハラの新方式学校の実態、保守派による抵抗、およびロシア当局の対応について検討した。また、新方式学校のカリキュラムの事例から、世俗科目の割合が比較的少なく、読み書きと宗教教育に重点が置かれていたことが指摘された。

第2、第3報告に対しては、ロシア帝国支配との関係や、担い手たちの社会的背景などについて質問が出された。

本研究会は、東洋文庫拠点の「オスマン帝国史料の総合的研究」の一環でもあり、オスマン帝国史料の中でもとくに刊行史料を利用した研究や、出版自体に関する研究を通じて、19世紀から20世紀初頭のオスマン帝国及びその周辺地域の教育や知識伝達のあり方について共同研究を行ってきた。今回の3名の報告をもって、研究協力者の研究発表は全て終わり、今後は論集出版へ向けて執筆と編集作業を進めることになる。

(文責:秋葉淳)

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