第8回中央アジアの法制度研究会(2010/12/4)

イスラーム地域研究東洋文庫拠点は、京都外国語大学国際言語平和研究所と共催で第8回の中央アジアの法制度研究会を開催いたしました。
本研究会は、中央アジアにおける前近代からソ連期にいたる法制度の変遷をテーマに、文字通り学際的で稔りある会になることを願って企画されたものです。

[主催] 京都外国語大学国際言語平和研究所(科研費「文書史料による近代中央アジアのイスラーム社会史研究」)
[共催] NIHU研究プログラム・イスラーム地域研究東洋文庫拠点
[日時] 第1日:2010年12月4日(土)13:00-17:30(終了後、懇親会)  第2日:2010年12月5日(日) 9:30-11:00
[場所] 静岡大学人文学部A棟6階大会議室(第1日),  静岡大学人文学部E棟1階E101教室(第2日)
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[概容]
第8回を迎えた中央アジアの法制度研究会は、第1日が静岡大学人文学部A棟6階大会議室、第2日が静岡大学人文学部E棟1階E101教室にて開催された。今回は、中央アジア(モンゴルを含む)、ロシア、中東の法学、歴史学の専門家16名が参加した。
報告は、地域としてはセルビア、モンゴル、ロシアとユーラシアの東西をカヴァーし、時代も10世紀や15世紀にさかのぼる言及がなされたが、それぞれの報告の話題の中心は18-19世紀を対象にしていたと言ってよいだろう。

それでは、個別の報告の紹介にうつりたい。伊藤知義氏の「近代前後のセルビアにおける伝統法とイスラム法の影響」によれば、オスマン朝支配下のセルビアにおいては、イスラーム法(シャリーア)と国家法(カーヌーン)、そのほかに各宗教共同体を単位とした宗教法(ミッレト法)、場所によっては慣習法が適用されていたという。1829年の自治権獲得後、中世セルビア法の復活の試みはあったものの、西欧近代市民法の導入が図られていく。その過程でトルコ支配時代の影響は喪失していったが、人々の法意識の転換による市民法の浸透は容易ではなかった。
本報告に対して、オスマン朝から独立したセルビアと、清朝から独立したモンゴルという比較の見地から、後者において清朝の行政・法制度を担う階層(書記たち)がモンゴル近代国家を支え、そうした制度が継承されえたのに対して、前者ではオスマン朝の支配制度を継承しうる階層が欠如としていたためにオスマン朝期の制度が継承されなかった可能性、また、知識人層が従来から西欧とのつながりを保っていたため、制度の継承をせずに西欧近代法を導入しえたのではないか、といった指摘がなされた。
またオスマン朝統治下の他地域との比較から、農村では優勢でありながらも都市では必ずしも優勢ではなかったセルビア人の間に、どれほどシャリーアが浸透しえたのか、という点についての議論がなされた。

額定其労氏の「清代ハラチン・モンゴルにおける裁判―ハラチン右翼旗を事例として―」は、清代モンゴルの行政区分「旗」ごとの個々の裁判の事例とその特質を検討することによって、その成果を総合して清代モンゴルの裁判制度の全体像を明らかにするという精力的な研究の一端を報告するものであった。
氏は、ハラチン右翼旗において、旗のザサク衙門に置かれた印務処が案件を審理し、それを旗の長たるザサクに上申し、その後どこで処理が行われるかが決定されていたことを踏まえ、そのあり方が十戸長と村の連合体たる社の長との中間に位置していたダーマルに最初に訴訟が託され、そこで処理されえない案件が印務処へと移送されたアラシャ旗の裁判のあり方と対照的であることを指摘した。そしてこうしたあり方の違いが、それぞれの旗の社会編成のあり方の違いと密接に関わっていたのではないか、という展望を示す。
氏の報告に対し、オスマン朝の事例を除いては、いわゆるイスラーム世界において刑事裁判の流れをこれほどまでに詳細に解明した研究はまだないのではないか、という意見が出された。同時に、年ごとに裁判文書を保管していたという清朝司法行政の史料の残し方との差異にも目が向けられた。それに関連して、保管されてきた裁判文書が判例として参照されたのか、という質問もなされたが、清朝は判例参照を禁止しており、少なくとも公には参照はなされなかった点が指摘された。

大江泰一郎氏の「ロシアにおける民法典・民法学と法文化」は、ロシアへの西欧民法導入のあり方に注目し、とりわけ1832年スペランスキー法典の編纂に際して、所有権の概念がプロイセンから受容され、ロシアの社会に合わせて変容していくプロセスを明らかにしていく。氏が展開する、西欧法と共通の法文化をもっていたロシアが、10世紀東方キリスト教の受容、13-15世紀のタタールの軛を経て、その共通の要素のいくつかを失っていき、そうした法文化の基盤の上に、西欧近代法のロシア的解釈がなされていったという議論は興味深い。
質問としては、ロシアと対置される「西欧」を共通の法文化をもつ一体として見なしてよいのか、またコメントとしてモンゴルの支配は、近年の実証研究の成果により、概ね現地の支配機構、社会制度を利用したものであったことが明らかにされてきているとのコメントがなされた。一方で、モンゴル期にロシアの支配機構のあり方が変質した可能性も否定できないとの議論も行われている。

今回の報告では、近代移行期における法の継受という側面からの報告が引き続きなされる一方、清代モンゴルについては個別具体的な裁判の様相が紹介された。
本研究会では当初、法学研究者と歴史学研究者とのアプローチの違いを踏まえて相互の議論の接点を探るために、より大局的な報告を通して議論がなされてきたが、今回は個別事例に則した報告も行われることになった。今後、時代における都市と農村における法文化の違い(慣習法の問題など)のあり方、史料としての裁判文書の由来、保管のあり方を明らかにしたうえでの裁判の地域的特性の比較といった視点をもとに議論が深められる可能性があるように思われた。

プログラム
12月4日(土)
13:00-13:15 あいさつ(堀川)、参加者自己紹介
13:15-14:30 伊藤知義(中央大学法科大学院教授)
「近代前後のセルビアにおける伝統法とイスラム法の影響」
14:30-15:15 討論
コメンテーター 大河原知樹(東北大学大学院国際文化研究科准教授)
15:15-15:30 休憩
15:30-16:45 額定其労[エルデンチロ](京都大学大学院法学研究科博士課程・日本学術振興会特別研究員)
「清代ハラチン・モンゴルにおける裁判」
16:45-17:30 討論
19:00-    懇親会
12月5日(日)
9:30-11:00 大江泰一郎(静岡大学名誉教授)
「ロシアにおける民法解釈学の不在とその法文化への影響」
11:00-12:00 討論
コメンテーター 杉浦一孝(名古屋大学大学院法学研究科教授)

文責 塩谷哲史(筑波大学大学院人文社会科学研究科)

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