第1回パーレン研究会(2010/10/03)

NIHUプログラム「イスラーム地域研究」東洋文庫拠点は、科学研究費補助金「文書史料による近代中央アジアのイスラーム社会史研究」と共催にて、下記の通り、第1回「パーレン研究会」を開催いたしました。

[主催] 京都外国語大学国際言語平和研究所
[共催] NIHU研究プログラム・イスラーム地域研究東洋文庫拠点
[日時] 2010年10月3日(日)13:00~17:30
[場所] 京都外国語大学9号館(国際交流会館)4階会議室 >>会場アクセス

[プログラム]
13:00~13:10 主旨説明・発表者紹介
13:10~14:40  Beatrice Penati (JSPS Postdoctoral Fellow / Slavic ResearchCenter, Hokkaido University)
On the context of Pahlen’s report: some debates about land settlement and forestry (1905-1914)
14:40~15:00 休憩
15:00~16:30  Alexander Morrison (University of Liverpool / Slavic Research Center, Hokkaido University)
An exercise in futility? Some reflections on Senator Count K. K. Pahlen’s Commission of Inspection in Turkestan, 1906-1911
16:30~17:30 総合討論

[概要]

第1回パーレン研究会は、京都外国語大学国際交流会館4階会議室で行われた。報告者は現在〔平成22年10月3日現在〕北海道大学スラブ研究センターに滞在中のアレクサンダー・モリソンAlexander Morrison、ベアトリーチェ・ペナティBeatrice Penati 両氏である。報告、質疑応答はともに英語で行われた。なお、本報告は同センターの宇山智彦氏のご尽力によって開催が可能となったことを付け加えたい。

パーレン Константин Константинович Пален (1861-1923) は、帝政ロシアの上院議員であり、1908年6月から1909年にかけて当時ロシアの植民地であったトルキスタンの査察を行い、23巻にのぼる膨大な報告書を残した。本研究会は、この浩瀚なトルキスタンに関する査察報告書の検討と中央アジア古文書研究への応用を目指している。その上で、ロシアのトルキスタン統治の視点からパーレンの報告書を史料として検討した両者の報告は、パーレン報告書の性格を踏まえた上で、その利用にはいかなる問題があるのか、どのような研究が可能か、といった基本的課題を整理する上で重要な意味を持つ。

モリソン氏は、”An exercise in futility? Some reflections on Senator Count K. K. Palen’s Commission of Inspection in Turkestan, 1908-1911” と題する報告を行った。氏には、ロシアのトルキスタン統治と英領インド統治を比較した著書『ロシアのサマルカンド統治1868-1910』(オックスフォード、2008年)がある。モリソン氏は、はじめにパーレン査察団の活動およびその報告書の全容、情報源、ロシア国立歴史文書館のパーレンのフォンドにある史料が持つ可能性についての紹介を行い、パーレンの報告書から見えるトルキスタンの「民衆法廷народный суд」ないしカーディー法廷および植民問題переселенческое делоの諸相についての報告を行った。パーレンの報告書の史料性について、その大半が先行する文献や州要覧などに拠っており、二次文献とも言いうる性格を有しているという指摘は、今後本報告書を用いる際に注意すべき点であろう。

質疑では、植民の増加には、鉄道の敷設など帝政の政策が背景にあったのではないか、現地ムスリム知識人のカーディーたちに対する視座との関係はどうであったのか、パーレンの持っていた「イスラーム世界」ないしシャリーアの普及している地理的空間の広がりに関する認識はどのようなものであったのか、中央アジアで広く普及していたイスラーム法学書ヒダーヤは、英領期インドのムスリム知識人たちにはどう受け入れられていたのか、といった点が議論された。また、本報告では、以上二つ―カーディー法廷と植民―を個々の事例は、ともに英領インドや仏領アルジェリアの事例との比較が可能であるという指摘がなされた。

続いてペナティ氏は、”On the context of Pahlen’s report: some debates about land settlement and forestry, 1907-1910” と題する報告を行った。氏は、ヨーロッパにおけるロシア・ムスリムの亡命者たちの活動、バスマチ運動に関する研究に加え、現在は帝政期からソ連期(1930年代)にかけてのやや広いタイムスパンで、トルキスタンの土地と水の問題についての研究を進めている。本報告は、パーレンの査察に前後する1907-1910年の間に、ペテルブルグとトルキスタンで行われたトルキスタンの土地査定事業、土地整理事業に関する議論を、余剰地や自然林の把握の問題などに注目して考察し、両者間の見解の齟齬を明らかにする試みであった。本報告は、ハプスブルグ帝国や清朝において注目されながらも、帝政ロシアのトルキスタンにおいてはいまだ未開拓の森林政策を扱ったものとして評価された。

質疑では、薪など利用量を把握しにくい資源に対する課税問題はどうであったのか、ロシア語で「国有地государственная / казенная земля」と訳される土地の概念と、中央アジアで広く用いられていた「国有地 mamlaka-yi pādshāhī」と呼ばれる土地の概念との差異を報告者はどう考えているのか、近年トルキスタンを含め、ロシア帝国全体の財政、土地、水の所有の問題を検討している E. Pravilova の研究に対する批判点はどこか、といった点についての議論がなされた。とりわけ余剰地 излишки の問題は、余剰水 свободные вода の問題と関連して論じられるべきであるという印象を受けた。

いずれの報告もロシアの植民地統治史料を主要史料として用いていたが、ともに現地人の視線、現地語史料にもとづく研究成果への配慮がなされていた。
参加者は11名と少なめであったが、ボン大学で教鞭をとられ、現在関西学院大学文学部客員教授として来日中である Ralph Kauz 氏(イスラーム圏と東アジアとの関係史を専門とされる)が参加され、おもに比較の見地から有益なコメントをいただけたことは、本研究会の活動が国際的な学術貢献に資し、かつ今後本研究会テーマに関心をもつ海外の研究者と研究交流を行っていく上で重要な意味を持つと考えられる。

文責 塩谷哲史(筑波大学大学院人文社会科学研究科)

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