第7回「オスマン帝国史料の総合的研究」研究会(2009/6/27)

研究班「オスマン帝国史料の総合的研究」では、末期オスマン帝国の歴史家・法律家アフメト・ジェヴデト・パシャによる『覚書 (Tezakir)』の講読および翻訳作成を最終目的として、研究を進めています。

下記日程にて第7回研究会を行いました。

第7回研究会
[日時]  2009年6月27日(土) 13:00~17:30
[会場] 東洋文庫イスラーム地域研究資料室  会場アクセス

※東洋文庫本館とは別建物です。ご注意下さい。
道順: 駒込駅から本郷通りを六義園方向へと直進し、ampmを過ぎてすぐの辺りにあります。1階に日本通販の店舗が入っています。入口はビルの右手裏側にあります。

[テキスト]ジェヴデト・パシャ『覚書 (Tezakir)』第1巻、39頁~
[翻訳担当者]小笠原弘幸、吉田達矢
[概要]
6月27日に開催された7回目の研究会には9人のメンバーが参加し、『覚書(tezakir)』の39頁から45頁までを購読して訳文の検討を行った。これまでと同様、研究会の約2週間前に担当者が試訳をメールでメンバーに配信し、各メンバーが事前にその試訳に目を通して来たため、研究会当日、訳文の検討を非常に効率よく行うことができた。

最初に、39頁の終わりから42頁の前半までの部分を小笠原弘幸氏が担当した。内容は、スエズ運河建設を巡る、エジプト総督、そしてフランスと、ムスタファ・レシト・パシャとの争いについてであるが、文中のmeclis-i mahsusとmeclis-i mahsus-ı vükelâとの違いに関して問題となったものの、文章の訳出において大きな問題はなく、議論は専ら訳文の日本語の問題に集中した。

続いて吉田達矢氏が担当した42頁後半から45頁末までの検討に移った。クリミア戦争時のオスマン政府上層部の権力争いと、その争いに介入するイギリスとフランスについての記述であったが、この部分では直訳では意味の通りにくい文章がいくつかあり、自然な日本語にするにはどうするかが議論された。また地名や船の種類について不明な箇所があり、この点については今後さらにクリミア戦争に関する文献を調査することとなった。全般的に訳文の検討は順調に進んだものの、45頁の前半で時間切れとなり、残りの検討は次回に持ち越されることになった。

当研究会の世話人である秋葉淳氏がこの夏から約1年間海外研修で不在になるため、この研究会もしばらく休みとなるが、今回の研究会をもって、概ねメンバー全員が一通り訳を担当したことになり、これまで検討した結果を踏まえて、各メンバーが自分の担当部分の正式な訳文を提出することが決められた。

回を重ねるにつれて、2週間前の試訳配信から各メンバーによる事前の検討、そして研究会当日の全員での議論、というスタイルが確立し、1回の研究会で検討する分量も当初に比べて大分増えた。約1年間のブランクはあるが、今後もこのやり方を継続してゆくことが重要だと思われる。

文責 黛 秋津(北海道大学スラブ研究センタープロジェクト研究員)

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