東洋文庫拠点研究会 (2008/03/18)

[日時]  2008年3月18日(火) 15:00-17:00
[場所]  財団法人東洋文庫3階講演室
[報告] 「動産ワクフの法理論と実際:制度の周縁にあるのか?」
At the margins of an institution? The waqf al-manqul in legal theory and practice.
[報告者]  アストリド・マイヤー氏(チューリヒ大学助教)
[使用言語]  英語 (通訳なし)
[概要]
報告者アストリド・マイヤー氏は、オスマン朝期の家族ワクフ(宗教寄進財産)について多くの研究実績を有するが、本報告では動産ワクフ(waqf al-manqul)について理論と実際の両面からの検討し見解を示した。

後述するようにマイヤー氏がテーマとして提示する動産ワクフは、その定義自体にいまだ議論が多く、進展著しいワクフ研究においても非常に新しい研究対象といえる。

本報告において、マイヤー氏が取り上げたのは、氏自身がオスマン朝期文書研究者ブリジット・マリノ氏とともに発見した、17世紀半ばにダマスカス総督イプシール・ムスタファー・パシャが600枚の銅盆をダマスカス城塞への寄進財産としたことに言及している法廷文書である。 一般にその永続性が前提とされており、したがって不動産を専ら対象としてきたとされるワクフ制度において、銅盆のような(有限物である)動産の寄進は、法理論上でも議論されてきたいわば定形外の存在といえるが、氏はこれをワクフ制度そのものの基本的な特徴とその社会的利用の側面を表すものと指摘し、論を展開した。

Exif_JPEG_PICTUREマイヤー氏は、まず当該文書と関連してマムルーク朝末期からオスマン朝初期にかけての歴史的シリア(Bilad al-Sham)及びエジプトにおける動産ワクフの扱いについて、①法理論上の議論(オスマン朝の御用学派であり、また社会的慣行を重視する傾向をもつハナフィー派法学が取り上げられた)②家庭用品一般の寄進の事例という、理論と実際の両面から概観し、ついでイプシール・ムスタファー・パシャによる銅盆寄進に関わる問題の検討に移った。

イプシール・ムスタファー・パシャによる銅盆600枚のワクフは、ワクフ台帳そのものが現存しないため、ワクフが設定された正確な日付や寄進目的は明確ではないものの、これらの銅盆(の賃貸)による利益がダマスカス駐留軍(あるいはその一部)及び城塞の維持のために用いられたと推察されている。発見された法廷文書には、これらの銅盆のワクフ管理人交代の具体的な状況が記述されており、マイヤー氏は実物の画像を示しつつ詳細に説明を行った。
管理人交代時は、経年劣化した銅盆の買い替えを含め、旧管理人が正しく管理していたかどうかがカーディーの命により公証人立会いの上で精査され、銅盆の状況が確認された後に新管理人に引き渡される。
破損や劣化が認められた銅盆は以後の貸出の対象ではなくなりその後の処理は不明であるが、この法廷文書は、管理人交代の手続きを通して、永続性を持たない動産ワクフが公式な手続きに則って処置されてきたことを明示するものであり、ワクフ運営の実際を表す貴重な例といえるだろう。

Exif_JPEG_PICTUREオスマン朝期の歴史的シリアにおいても動産ワクフは広く普及していたとはいえないが、その存在はワクフという社会的制度の柔軟性・多様性を示唆するものである。マイヤー氏はこのような一見周縁的な事象の研究が制度そのものの本質を問う上での有効性を指摘し、報告を締めくくった。

報告後はマムルーク朝ワクフ研究を専門とする五十嵐大介氏(日本学術振興会)が、マムルーク朝期の事例との対比を含めてコメントを寄せたほか、活発な質疑応答が交わされた。

[発表者紹介]
Exif_JPEG_PICTUREアストリド・マイヤー氏 Dr. Astrid MEIER
チューリヒ大学助教。史学博士。
東洋学(あるいはイスラーム学)専攻が大多数を占めるドイツのイスラーム研究界ではやや異色の史学専攻出身。
オスマン朝期を専門とし、特にワクフについてはEncyclopaedia of Islam (2nd ed.), Supplement , “Waqf in Syria to 1914″項執筆ほか、多数の業績を有する。

文責 柳谷あゆみ (人間文化研究機構/東洋文庫)

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