エゴドキュメント/自己語り史料 Ego-documents/Self-narratives

エゴドキュメントあるいは自己語り史料とは、典型的には日記、自伝、回顧録、手紙など、著者自身について語られた史料の総称である。必ずしも同じ内容を指し示すものではないが、英語では、ego-document, self-narrative, first-person narrative, personal narrative, first person writing などと呼ばれる。このタイプの史料は、近年、ヨーロッパ史研究を中心に関心が高まっており、日本でも「エゴドキュメント」という概念が少しずつ使われるようになっている。「エゴドキュメント」というカテゴリーのもとに最初に研究が発展したのは1980年代のオランダで、1500年から1814年に至る時期の自伝、回想録、日記、旅行記、私的な覚書などが収集され研究された。その後ドイツやスイスのドイツ語圏でも、エゴドキュメントというカテゴリーを使わない場合もあるが、この種の史料の研究が盛んになった。オランダのグループの成果が英語でブリル社から出されるようになって、各国でエゴドキュメントという用語が使われ始めているのが現況である。

エゴドキュメントという概念については、ドイツの歴史学者Schulze (1996) が、「人が自身について何ものかを語るあらゆる史料」とし、日記、自伝、個人的な手紙、夢の記録など自由意志で叙述されたもの以外にも、法廷記録、訪問客の記録、嘆願書、宣誓書、供述書、会計簿、遺書なども含むという、おそらく最も広い定義を提示している。ただし、このような定義には批判的な見解もあり、また、そもそもエゴドキュメントという概念自体を疑問視する研究者も存在する。それは特に「エゴ」という言葉がフロイト的な自我を連想させるからであり、とりわけ近世期の史料にいわゆる「自我」を見いだすのは困難だと主張されている。実際、「近代的自我」「近代的個人」への批判的アプローチは、むしろ近年のエゴドキュメントあるいは自己語り史料研究の趨勢である。ドイツ語文化圏では、EgoやIndividuum ではなくむしろPersonを対象にしようという傾向もある (Greyerz 2010; Jancke and Ulbrich 2015)。なお、英語圏ではself-narrativesやpersonal narrativesのほうがどちらかと言えば一般的のようである。ただし、出納簿や家族の記録(family book)のように叙述史料でないものを narrativeに含めるのは不都合であり、documentという広い概念を用いることの利点も大きい。

この項目では、やや折衷的にエゴドキュメント/自己語り史料という用語を用いる。その示すところは冒頭に述べたように、自己を語る史料であり、なるべく広くとるが、シュルツェが挙げたような法廷記録など、他者の強制によって語られ、他者によって書き留められたものは除外する。ただし、自己に直接言及していなくても、自分の家族など私的な領域への言及は、広い意味での自己語りと捉えてもよいと考える。

本項目では、19世紀半ば以前に書かれたエゴドキュメント/自己語り史料を対象とし、19世紀後半以降大量に書かれる回顧録は対象から外し、別途項目を立てることとする。また、トルコ語文献を中心的にとりあげ、アラビア語文献にも多少は目配りするが、ギリシア語、アルメニア語やその他の言語は執筆者の能力上、対象外とする。

Sıdkî Mustafaの日記

オスマン帝国における「一人称叙述」に光を当てた先駆的研究は Kafadar (1989) である。後述するスーフィー導師の日記を中心的に扱った論文で彼は、16〜18世紀のオスマン社会において日記、旅行記、自伝、捕虜の手記、そして夢の記録など多様なジャンルにおいて自己についての叙述が行われてきたと論じた。その後、ヨーロッパにおけるエゴドキュメント研究の隆盛の影響も受けて、今世紀に入って新たな注目を集めている。すでに論集として、トルコ文学における自伝的テーマを扱ったAkyıldız, Kara, and Sagaster (2006)、中東のエゴドキュメントに関する論考を集めたElgar and Köse (2010)、オスマン帝国史やアラブ史を含む自己語り史料の比較史研究であるRuggiu (2013) が刊行されている。これまでの研究が明らかにしてきた事実の一つは、自伝や日記といった、定義上自己を語る史料類型に限らず、年代記、伝記集、雑録(mecmû‘a)、写本の欄外の書き込みなど、さまざまなタイプの史料の中に執筆者の自己言及を見出せるということである。

まず典型的なエゴドキュメント/自己語り史料として日記がある。「一人称叙述」に光を当てた先駆的的研究であるKafadar (1989) が中心的に分析したのが17世紀のスーフィー指導者Seyyid Hasanの約4年間にわたる日記である (Cf. Faroqhi 2000, 194–199)。同様にスーフィーであり詩人でもある人物、Nizyazi Mısrî (d. 1694) によって書かれた日記 (*Mısrî 2006) も存在する(Terzioğlu 2002)(アステリスクは転写・翻訳を含む刊行史料)。元来スーフィーには自己の精神的修養の過程を弟子などのために書き記す伝統があり、アラビア語ではオスマン以前から自伝的作品が著されてきたが(ガザーリーの「誤りから救うもの」はその代表)、上記のオスマン時代のスーフィーの日記は必ずしも精神的な軌跡だけを記したものではない。むしろ、Seyyid Hasanは自らの日々の食事を記録することに熱心であり、また、Niyazi Mısrîは流刑の地リムノス島での不遇を託つことが主となっている。

今日的な「日記」に最も近い形式で書かれているのは、ウスキュダルのカーディーなどを務めた高位のウラマー、Sadreddinzâde Telhisî Mustafa Efendiのつけた日記(1711-35) である。彼の日記は、1ページが1ヶ月に当てられ、各ページは4×8のグリッドに分割されて、それぞれのグリッドが1日分になるよう工夫されている。全ての枡目が埋められているわけではなく、ときに記述は枠を超えて記入されている。このように整理された日記をこのウラマーは20年以上にもわたってつけていたのである(Karahasanoğlu 2013; Erünsal 1984)。同様に裁判官経験のあるウラマー、Sıdkî Mustafa もまた、日記らしい日記 (1749-56) を残している。ページの左端に日付が記され、その右側にその日の出来事を記すというスタイルで書かれている (Zilfi 1977)。他方、「日記」と名付けられて刊行されたイスタンブルの一街区のイマーム、ハーフィズ・メフメト・エフェンディの書き残したものは、備忘録に近く、日付がつけられているものの、時系列が前後する箇所も多く、日々書きつけられたものではない。1807–15年の事件と著者自身の身近な出来事とが記録されている (*Beydilli 2001; 秋葉 2015)。

オスマン・トルコ語散文学において自伝は確立したジャンルとは言えない。伝統的なジャンルである伝記集は自伝文学のプロトタイプであり、Taşköprîzade Ahmed bin Mustafa (d. 1561) のウラマー伝 (*Taşköprülü-zâde1985) には彼自身の伝記が含まれているが、これも元はアラビア語で、16世紀中にトルコ語に翻訳されている (*Mehmed Mecdî 1269)。いずれにしても、ウラマーの伝記集の記述と同様、教育歴と職歴が簡潔に書かれている。ウラマーの自伝としては、やはりアラビア語であるが、権力を恣にした結果1703年のエディルネ事件で処刑されたシェイヒュルイスラーム、Feyzullah Efendi がまとまった自伝を残している (トルコ語訳*Türek and Derin 1969–70; Nizri 2010; 2014)。トルコ語では、16世紀の歴史家Gelibolulu Mustafa Âli (d. 1599) の政治論 Nushatü’s-selâtîn の一部に韻文調の自伝的記述が含まれている (*Tietze 1979–82)。17世紀の百科全書的知識人Kâtib Çelebiの論説『真実の秤 Mîzânü’l-hak fi İhtiyari’l-ehak』にも著者自身の自伝部分があり、伝記集の記述スタイルを踏まえているが、著者自身の体験や見聞したエピソードも盛り込まれている (*Kâtip Çelebi 1972; *Kātib Chelebi 1957)。これらとは別に、オスマン社会の知識人の代表格であるウラマーや書記官僚の範疇に入らない人々が散文の自伝を残していることは興味深い。著名な建築家Sinanの自伝として知られるものは、口述記録と考えられており、短い生い立ちの記述の後は、彼が携わった建築のリストになる (*Sinan 2006)。どちらかと言えば回想録と言えるが、16世紀後半シェフリゾルのアミールMemun Bey (*Parmaksızoğlu 1973)、そして19世紀前半の騎兵Deli Mustafa (*Schmidt 2002b; Esmer 2014) による、よりまとまった長さの著作がある。特に後者は、アナトリアの村落出身の騎兵による従軍記であり、所々に挿絵がつけられている、という点で類例のない作品である。

散文として自伝がジャンルとして確立していないと述べたが、韻文においてはsergüzeşt-nâme(冒険詩)と呼ばれる、作者の経験を読み込む詩のジャンルが存在し、作者の人生を回想する形をとるものがある。とりわけ興味深いのは17世紀にボスニア州司令官にまで出世したVarvarî Ali Paşaの自伝詩であり、前半部でデヴシルメによって徴用されてから宮廷で仕えた経験が語られている (*Ertaylan 1948; *Gökalp 2009, 265–299)。これには林佳世子による部分訳がある(林 2012)。ほかには、ウラマーのZâ‘ifî (d. 1557) (*Anhegger 1950; *Gökalp 2009, 213–26)、書記官のKâtib Osman (17世紀末〜18世紀初) (*Gökalp 2009, 412–473) などの自伝詩がある。また、そうしたジャンルに必ずしも入らないが、Hindî Mahmud (1513/14?–) の預言者伝の長編詩の一部に自伝的部分があるほか(*Meredith-Owens 1960)、モスタル出身のウラマー Mustafa Hurremî(17世紀末〜18世紀初)も自伝詩を書いている(*Gazić 1970)。

自伝というよりも回想録のタイプの散文としては、捕虜の手記が存在する。これは一種ジャンル化しているとも言える。特異な体験を伝えておきたいという欲求から生まれるのであろうか。これは逆の立場の捕虜についても同じことで、captivity narrativesと称される文献はヨーロッパ史でも広く研究対象になっている。1527年に海賊によってメッシーナに連れて行かれたAbdi Çelebi (*Sahillioğlu 1963)、マルタで囚われた裁判官Macuncuzade Mustafa (*İz 1970)、1688年から11年間ハプスブルク帝国で捕虜として過ごしたOsman Ağa (*Kreutel 1980; *Kreutel und Spies 1962; *Tolaşa 1986; *Osmân Agha 1998; Hitzel 2001)、17世紀末にフランスの捕虜となったエジプトのイェニチェリ (Kafadar 1989, 132) らが手記を残しており、最後の1点を除き、刊行されている。

逆の立場での捕虜すなわち、ヨーロッパ・キリスト教諸国側からオスマン側に連れてこられた捕虜たちは、解放後はそれぞれの言語で手記を著すのでそれらは本項目の対象外だが、捕虜やそれ以外の理由でオスマン帝国に入り、結果的にイスラームへ改宗した人々の中には、自らの改宗を宗教論の一部として回顧的に記した者もいた。その例として、Murad b. Abdullah (d. 1586?)、Atinalı Mehmed (17世紀初没)、印刷術導入で有名なİbrahim Müteferrika (d. 1724) が知られる (Krstić 2011)。

捕虜の手記は、旅行記の一区分と言えるかもしれない。ただし、一般論として旅行記は旅先や道中の描写が中心になり、必ずしも「自己語り」を多く見いだせるわけではないことは注意を要する。さて、旅行記といえば Evliya Çelebiである。これは別項目があるので、そちらを参照されたい。ほかには、19世紀以前に絞るとトルコ語では数が少ないが、16世紀半ばにグジャラートに流れ着いた海軍提督Seydî Ali Reisの旅行記がある(*Seydî Ali Reis 1999; 今松 2016)。主として韻文のメッカ・メディナ巡礼記は多いが、宿営地の羅列や型にはまった表現による聖地紹介などが支配的で、自己語り的要素が含まれているものは少ない。「最も文学的」と評されるNâbî (d. 1712) のTuhfetü’l-Harameyn はエゴドキュメント/自己語り史料の範疇に入るかもしれない (*Coşkun 2002)。また、「冒険詩」の一例であるが、トカトの裁判官に任命されたブルサの詩人Bursalı Beliğ が赴任して帰るまでを詩にしたものもある (Abdulkadiroğlu 1985)。別項目で紹介する「使節の書 sefaretname」は公的な記録であるため、自己語りは少ないが、ときどき「私」が現れるとも言われる (Klein 2002)。

上述のAbdi Çelebiの捕虜体験記が手紙であったように、手紙は代表的なエゴドキュメントの一つである。文学作品としての書簡集 Münşe’ât は多数存在するが、これらは美文の模範のようなものであり、エゴドキュメントとしては扱いづらい。ここでは、外交文書など公的な書簡は除き、書簡現物が残っているものを中心に扱う。よく知られているのは、オスマン朝宮廷の女性(寵妃、母后など)とスルタン(君主)や皇子とのやりとりである (*Uluçay 1950; 1956)。Uluçay (1950) が刊行した中には、大宰相イブラヒム・パシャの、その妻ハティージェ・スルタン(スレイマンの妹)への書簡も含まれている。宮廷関連では、19世紀のスルタン・アブデュルメジトの娘であるRefia Sultanの書簡がまとまって残っている (Akyıldız 1998)。宮廷と関わらないところでは、Fekete (*1932) の刊行したNikolaus Esterházyコレクションに含まれるトルコ語文書集に収められている私的な書簡が興味深い。軍人がその家族にあてて出した手紙など、家族との関係や、より私的な関心事が綴られている (Murphey 2002)。そのほか、雑録の中に貼付されている、詩人であり伝記集の編者として知られるNev‘îzâde Atâ’î (d. 1635) とその父親の書簡が、*Erünsal (2008) によって紹介されている(書簡のファクシミリあり)。時代が下って19世紀初頭からは、船長Mehmed Emin Hocaの手紙が残されている (Schmidt 2010)。19世紀末以降の、無名の人々による手紙はある程度残存していると思われるが、情報は少ない。

一風変わった手紙として、17世紀スコピエのある女性の日々の夢を記録した手紙を集めた写本が存在する(*Kafadar 1992; 2009)。オスマン人にとって夢は、夢を見た人の無意識を表象するものではなく、神(または悪魔)の意志を示すものであった(夢に出てきた人の思いを示すものでもないらしい)。この史料に収められているのは元来、Asiye Hatunという女性が自分の見た夢をスーフィーのシャイフに書き送ったものである。夢が神の導きを知る手がかりとなり、夢判断が広く行われていた社会において、夢の記録がとられたことは理解できよう。まとまったものとしては、スルタン・ムラト3世(在位1574–95)の夢の記録が知られている (*Felek 2014; Felek 2012)。夢の記録には日記と似た要素もあり、日記や、それに類した覚書あるいは後述する雑録の類などに夢が記録される例もしばしばある。Fleischer (1994) は、雑録に書き留められた書記の夢を扱ったものである。そのほか、Taşköprîzadeのウラマー伝記集 (1985)、Âşık Çelebi (d. 1571) の詩人伝 (ʻĀşıḳ Çelebi 1971)、Hulvî (d. 1654) のスーフィー伝に、それぞれの伝記編者の夢が挿入されており、Niyazioğlu (2013) が研究対象としている。あるいは、こうした夢は、研究者にとっては、神の意志の顕現ではなく、また、フロイト流に当人の無意識の表れでもなく、社会的に(あるいは共同体的に)共有されていたものとして捉えられるのではないかと思われる。

再び日記に戻れば、日記という形式は、アラブ文学の伝統では年代記から派生したものとされる。つまり、同時代の年代記を書くための準備として年代記作者が日々の出来事を記録したことから始まり、そのため作者と同時代の年代記は日記に近い要素をもつ。日記とまで行かなくても、年代記の中で著者が直接に見聞きした出来事だけでなく、自分自身について語ることがしばしばある。サラエヴォの代書屋兼イマーム、Molla Mustafaの記した1756/57年〜1800/01年のサラエヴォの年代記は、作者自身の体験や家族に関する記述を含んでおり、エゴドキュメント/自己語り史料と呼ぶにふさわしい性格をもつ。年代記の後半は、作者の知人を中心とするサラエヴォの人々の死亡録になっており、各人の特徴や性格、作者による人物評などがごく短く付されている (*Filan 2011; Filan 2012; 秋葉 2015)。作品としてよりまとまった同時代地方史(都市史)は、アラビア語で書かれたものが多く、本項目では網羅できないが、興味深い一例として、ダマスカスの床屋Ibn al-Budayrīの著した年代記(1741–62)を挙げておく (*al-Budayrī 1959; Sajdi 2013)。他方、首都イスタンブルで書かれた同時代年代記は、公式な修史官でなくおおよそ中間層に属する人物が書いたものであっても、政治的事件や任免の記述が圧倒的で、自己語り要素は少ないことが一般的である。あえて挙げれば、Şem‘dânîzade Fındıklılı Süleyman Efendi (d. 1780) が、その著書Mür’i’t-tevârîh の所々に自身の裁判官としての経験を書き込んでいる (*Aktepe 1976–81)。他の年代記においても、例えばSelânikî (d. c.1600) が自分の任官について(*Selânikî 1999)、Peçevî (d. 1649?) が対ハプスブルク戦争への従軍体験を (*Peçevî 1283)、それぞれの年代記に記しているように、断片的な自己語りを見いだせることがある。やはり断片的な自伝的情報が含まれている作品(ライデン大学図書館所蔵)の例として、Schmidt (2002a) は、対サファヴィー朝戦争を正当化する論考(1585年)の中に、シルヴァーンからイスタンブルに逃れたのちにマドラサ教授になった著者の自伝的情報が含まれていたり、1620年代のサファヴィー朝によるバグダード占領期の出来事を記した、多数の韻文が挿入された歴史書の中に著者の体験が描かれていたりすることを紹介している。なお、年代記と並んでメジャーなジャンルである伝記集にも、編者の自己言及が散見されることがある。Âşık Çelebiの詩人伝 (Aynur 2010)、Ata’î の伝記集 (Niyazioğlu 2017) の例がある。

日記と年代記に近いジャンルに日録(Rûznâme)がある。公式の日録は、宮廷でつけられた、君主の行動の記録であり、自己語り要素は皆無に等しい。しかし、18世紀に書かれた、私人による日録には若干ながら「私」が垣間見られることもある。*Göksu (2007) には、全体的には任免、戦争、君主や政府の動静など、年代記的な内容だが、わずかながら自分の女兄弟が子供を生んだことなどが記録されている。

さて、何度か言及したように、さまざまなテクストが一人または複数の手によって書き込まれた/書き写された冊子である雑録(mecmû‘a)に、書簡や夢の記録、他のタイプのエゴドキュメント/自己語り史料が書きとめられることがある。より断片的な、自己やその家族に関する出来事のメモ、書き写したテクストへのコメントなどの場合もある。Fleishcer (1994) が扱った史料も夢の記録だけでなく、自分の身の回りの事柄の記録も含まれている。雑録をめぐっては、それをテーマにしたワークショップの報告をまとめた Aynur et al. (2012) が刊行され、Terzioğlu (2012)、Kafadar (2012)、Paić-Vukić (2012) が興味深い事例を紹介している。ほかにもTerzioğlu (2007) がある。

雑録に近いものとして、他のテクストの欄外や内表紙などの余白に書き込まれたエゴドキュメント/自己語り史料が存在する。サラエヴォに住む裁判官Mustafa Muhibbî (d. 1854) の蔵書への書き込みや雑録に記された覚書は、書き手自身とその身近な世界について多くを物語る (Paić-Vukić 2011)。アンカラ出身の裁判官であり占星術師でもあったSadullah Efendi (d. 1855) は、暦や天文表に様々な覚書を書き込んでいた。それは政治的事件や天災などの記録だけではなく、自分や家族に関する出来事や、自分が行った星占い、自分の見た夢、使用人に対する不満、官職が得られるかどうかの不安など多岐にわたり、きわめて豊かな情報を提供するエゴドキュメント/自己語り史料になっている (Tunalı Koç 2002; 2007; 2012)。

“Family book” と言われる、複数世代にわたって書き留められた家族の誕生、結婚、死亡などの記録は、近世ヨーロッパにおいて多数知られているが、オスマン帝国には独立した帳簿としてはほとんど見出されえない。ただし、雑録にはそうした家族の記録が書かれることはしばしばあるので、中には次世代に継承されるものも存在する可能性がある。また、家計簿、出納簿の類も19世紀後半以前についてはほとんど残存していない。やや早いものとして、宮廷侍医でありカザスケル職にも就任したMustafa Behcet Efendi (d. 1843) の出納簿がアンカラの国民図書館に収蔵されている(トルコで研究が行われているようだが、未刊行)。より公的な性格をものとしては、没収された高官の「イエ」(kapı)の帳簿がトプカプ宮殿博物館附属文書館に一部現存するようである(例として、Reindl-Kiel 2016)。時代が下ると、オスマン官僚たちが家計簿をつけ始める。これまでに知られているのは、Mehmed Cemal Bey の収支簿 (1855–64) (Eldem 2013)、Sadi Beyの日記と支出の記録が書き留められたスケジュール帳(1901–08欠落あり)(Dumont 1986)、Ali Faik Beyの支出簿(1893–1928)と収入簿(1910–16)(Akiba 2000) である。

最後に、エゴドキュメント/自己語り史料と見なせるかどうかの境界線上にある史料類型を検討する。オスマン朝君主自身の手になる宸筆 (Hatt-ı Hümayun) は、別項目で詳細に扱いたいが、ときに、君主の個人的感情が発露されることがある(髙松 2016)。Sarıcaoğlu (2001) はアブデュルハミト1世の宸筆を用いて彼のものの見方を探っている。嘆願書 (arzuhal) は、その定義上、民衆の声が聞けると期待したいところだが、文章は形式化され、ほとんどの場合はプロの代書屋(嘆願書書き arzuhalci)が書いているので「私」を見出すのは実際には難しい。これも別項目で取り上げたい。法廷文書は、トルコ語の場合は当事者や証人の陳述や証言が一人称で直接話法によって記されるが、そもそも法廷書記が法的に有効になるように整形して記すので、やはり「私」を見出すのは困難である。ただし、侮辱発言など、発話通りに記録することに意味があるような発言は、そのままの形で記録されることがありうる。タンズィマート改革以降には、裁判の過程を記録した訴訟記録 (zabıt cerîdesi)、容疑者への尋問の記録 (istintâknâme) が作成されるようになり、これらは発言を比較的忠実に記録していると考えられる。ただし、強制下でなされた発言の記録をエゴドキュメント/自己語り史料として扱えるかどうかは別問題であり、別の視点から分析されるべきかもしれない。すでに別項目で紹介した履歴文書 (sicill-i ahvâl)、とくに履歴書 (hal tercümesi) は正しくエゴドキュメント/自己語り史料であるが、作成されるのは1879年以降となる。

以上挙げてきた様々な史料は、エゴドキュメント、一人称叙述、自己語りといった概念が使われなくても歴史研究に用いられてきた。代表的には伝記的研究があり、ほかにも史実の確認(他の史料によって知り得ないような情報を入手)や、個人の思想・世界観、個人によって経験された社会や制度のあり方などを知るために利用されている。例えばErünsal (1984) は、Telhisi Mustafa Efendiの日記から、別の文学者や歴史家の経歴に関する情報を集めている。だが、エゴ・ドキュメント概念を用いる意義や、ヨーロッパにおける研究動向、そして近世オスマン史において入手可能な史料の種類を考慮に入れれば、この史料類型を生かすことができると思われるのは、次のようなアプローチであろう。 (1) オスマン社会における「自己」、「個人」の探究。ただし、いわゆる近代的な「個人」の確立やその萌芽を近世オスマン社会にも見出そうとする立場とは一線を画するものであらねばならない。(2) 前項と関連して、個人の日常的な人間関係やネットワーク、あるいは日常的な関心事、私的空間、親密圏の研究。(3) やはり(1)と関連して、自己を語る/書く行為そのものについての研究。これはリテラシーをめぐる問題にもつながる。人ななぜ書くのか、書くという行為の社会的位置付け、書かれたものの保管や利用の方法といった問題が派生する。(4) 感情や感覚という領域。実は史料中に感情や感覚についての表現はごく少ない。日記や自伝でも個人的な感情を表立って書き表すという文学的伝統が不在だったことによる。だが、そうした中でも微かな手がかりから読み取る努力が必要となる。感覚という点については、時間の感覚というのは興味深いテーマの一つである。(5) ジャンルあるいは形式の問題。例えば当時確立した文学形式でなかった「日記」の形式の由来や他のジャンルとの関連、といった問題である。もちろん、全体として、ジェンダー、階級・階層、宗教といった視点は欠かせない。

別の問題として、様々なジャンルに属する文献をひっくるめてエゴドキュメント/自己語り史料などと名付けるメリットは何だろうか。確かにそれぞれのジャンルにおける決まりごと、定型表現があり、互いに大きく異なっており、同列に扱うことに意味はないという意見も出てきそうである。だがジャンルによって書かれる内容が異なるので、特定のジャンルだけを見て、オスマン人があたかも「自己」のごく限られた部分にしか関心がない(書きとめることに関心がない)と性急な結論を導くことを、異なるジャンルを見ることで防ぐことができるだろう。また、トルコ語では「自伝」というジャンルが確立していなかったため、そもそも文学的しきたりや文書の形式から逸脱した「自己」についての語りこそ、豊かな内容をもっているとも言える。私的、日常的で平凡な事柄、自分やそのごく身近な周囲の出来事は、普段は当たり前で書きとめられることが少ない。写本の欄外のメモのようなちょっとした記述が、歴史家たちを未知の領域へと導いてくれるかもしれない。

(秋葉淳)

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(2018年3月作成)