履歴文書:人事記録簿(Sicill-i Ahval Defterleri)と人事ファイル(Sicill-i Ahval Dosyaları)

sicill_ahval歴史上の人物の伝記的情報を集めるには、人名録や伝記集を参照するのが王道であるが、19世紀後半以降のオスマン官僚であれば、国家の管理していた履歴文書によって経歴を調べることが可能である。それらから5万名を超える官僚の情報を調べることができる。

オスマン帝国の末期には、官僚の人事を管理するために各官僚の履歴を記録する文書が体系的に作成、保存された。この文書群は二種に大別することができ、本人が記入した履歴書(tercüme-i hal varakası)や、その他の履歴関連文書(任命状や卒業証書の写し、職歴と給与の一覧表、嘆願書など)を収める個人別の人事ファイル(Sicill-i Ahval Dosyaları)と、ファイルの内容を要約し、その後の異動を書き加えた人事記録簿(Sicill-i Ahval Defterleri)からなる。

人事管理のシステムは1879年に導入された。官吏は各自、所定の書式の履歴書に記入して提出することを義務づけられた。これらは上述のように、他の提出書類やその後に作成された文書とともに個人別の人事ファイルに収められ、原則的にはその官吏が所属する省庁で管理された。中央に設置された人事院(Sicill-i Ahval Komisyon-ı Umumisi)は各省庁から提出されたデータをもとに、総合人事記録簿(sicill-i umumi)を作成した。これが現在首相府オスマン文書館でDH.SAİD.d(Dahliye Sicill-i Ahval İdare-i Umumiyyesi Defterleri)というフォンドに分類されている帳簿群である(研究書ではSAの略称が使われていることもある)。大判のこの帳簿は1番から201番まであり、18番が2冊あるため全体で202冊ある。一人につき帳簿の見開き2ページが充てられ、1ページで終わる場合もあるが、2ページでも足りない場合は続きが補遺として別巻に記載されている。Bouquet (2007, XXVII) によれば、この帳簿群に約50,000名の官吏の記録が収録されているという。現在は全て電子化されたため、現物を見る(触る)のは不可能になったが、その代わり複写を入手するのはきわめて容易になった。また、カタログもかつては名前をアルファベット順に並べたのみの17巻もある台帳をめくらなければならなかったが、現在はパソコンによって名前や出身地を手がかりに検索することが可能である。

DH_SAID_d上述のように、人事記録簿は人事ファイル所収の書類に基づいて作成されるため、とくに履歴書の記載内容に準じた形で記されている。すなわち、まず名前、父親の名が最初の行に書かれる。父親の名にはその職業(官職)が付記されることが多い。2行目に、出生年、出生地、3行目以降は学歴、使用言語などが書かれた後、職歴の記載が始まる。職歴については、任命、解任の日付、給与額などが詳細に書かれる。履歴書提出以後の情報も書き加えられるが、青年トルコ革命後は、人事ファイルによってのみ管理することになったため、それ以後の情報は人事記録簿に反映していないことが多い。

人事記録簿の元になった履歴書の書式についても説明しておこう。履歴書は、質問事項が印刷されている大判の質問票で、通常は本人の直筆で回答が記入されている。質問事項は、1) 本人の名前、称号、呼び名など、父親の名前、称号、官職・位階、職業(質問事項に入っていない書式もある)など、本人の宗教や国籍、家系、2) 生年と出生地、3) 教育歴、会話及び読み書きで使用する言語、著作など、4) 職歴、給与、位階など、5) 解任等の理由、処分や罰など、からなっている。質問は2) を除けばどれも長く、細かく場合分けして答え方を指示しているので、その内容を知っていると、人事記録簿の文言の特徴を理解することができる。

DH.SAİD.dフォンドの総合人事記録簿は、基本的には文官(me’murin-i mülkiye)のみを対象としているため、シェイヒュルイスラームを長とする長老府管轄下の官職にあるウラマーや、陸軍省あるいは海軍省に属する軍人・職員は含まれていない。前者に関して言えば、人事院成立当初はシャリーア法廷裁判官などの履歴データについても中央に提出されていたらしく、総合人事記録簿に、純粋に長老府の管轄する官職にしか就いたことのない人物も少数ながら見られる。おそらく1892年以降に長老府において本格的に人事管理システムが導入されて以降、長老府内のみで管理するようになったと思われる。現在、イスタンブル・ムフティー局附属長老府文書館(İstanbul Müftülüğü Meşihat Arşivi)に人事記録簿と人事ファイル双方が所蔵され、閲覧可能である(デジタル化されている)。人事ファイルは、刊行された目録(Zerdeci 2008)によれば6386名分あり、シャリーア法廷裁判官(ナーイブ)、イスタンブルのモスクの教師(デルスィアーム)、長老府の職員、地方のムフティーやマドラサ教授、シャリーア法廷の書記官、説教師など、いずれにしても長老府の管轄する職務にあって給与を得ている者が含まれている。逆に言えば、ワクフから俸給を得ている地方のマドラサ教授などは登録されない。青年トルコ革命後には人事管理の対象が拡大したため、廷吏(muhzır)や用務員(odacı)などのファイルも存在する (Akiba 2007)。人事記録簿は全7巻あるが、目録は存在しない。各巻の冒頭に手書きアラビア文字による目次があるが、不完全である。帳簿とファイル双方に記録のある人物もいれば、片方にしかない、あるいはどちらにもない者もいるので注意を要する。

本人自筆の履歴書のオリジナルを含む人事ファイルは、大部分が履歴書の要約である人事記録簿よりも、多くの点で高い史料的価値をもつ(ただし、履歴書に誤った内容が書かれることもあり、また、履歴書作成以降の情報は含まれていないので、絶対的なものではない)。文官の人事ファイルは、まだ十分に公開されていない。かつてはトルコ外務省の文書館にオスマン外務官僚の人事ファイルが所蔵され、Findley (1989) がそれを用いて外務官僚のプロソポグラフィー研究を行った。現在このファイル群は首相府文書館に移管されてHR.SAİD (Hariciye Nezareti Sicill-i Ahval İdare-i Umumiyyesi Müdiriyeti) というフォンドになっている。内務省と国家評議会Şura-yı Devletの人員の一部については、それぞれDH.SAİD.MEM (Dahiliye Nezareti Sicill-i Ahval İdaresi Memur Sicil Zarfları)、ŞD.SAİD (Şura-yı Devlet Sicilleri) というフォンドに人事ファイルが分類されている。また、スルタンの内帑(Hazine-i Hassa)に属する人員に関しては、人事記録簿(HH.SAİD.d)(各省庁レベルで作成されたdefter-i hususî)、人事ファイル(HH. SAİD.MEM)双方が存在する(Kütükoğlu, M. 1998 も参照)。なお、履歴書のみであれば、ニザーミーエ法廷の裁判官や検事が任命時に提出したものが内務関連勅旨のフォンド (İ.DH) に含まれていることがある。履歴書の書式は人事院のものとは少し異なって、やや簡易な形式になっている。

この人事管理システムは官営汽船会社でも採用されたらしく、特別局 İdare-i Mahsusa、オスマン海運局などのオスマン官営汽船会社の人員の人事ファイル(Personel Sicil Dosyaları)が、イスタンブルのトルコ海運公社総合史料室に保管されている(小松2010; 2013)。

人事ファイルについて注意すべき点の一つは、トルコ共和国時代にも引き続き公務にあった人物のファイルは、共和国のそれぞれの官庁に引き継がれたという点である。少なくとも、トルコ内務省と宗務庁のアーカイブズには、オスマン時代から継承された人事ファイルが存在する(内務省に関して、Baltaoğlu 1998)。

冒頭で述べたように、履歴文書はオスマン政府官吏の伝記情報を知るために最適な史料である。そのため、この史料をもとに伝記集・人名録が数多く刊行されている。首相府文書館の人事記録簿を主たる史料として編まれた伝記集の初期のものとしては、行政学院 Mekteb-i Mülkiye の卒業生の履歴を集成したÇankaya (1954; 2nd ed., 1968-71) がある。また、Pakalın による伝記集 (2008-09) は、長らく原稿のまま存在し、近年になって刊行されたものである。他方、Albayrak (1980-81; 2nd. ed., 1996) は長老府文書館の人事記録簿とファイルをもとに編纂されたウラマーの伝記集である。Mardin (1956-66) には、やはり長老府所蔵の履歴文書を主に用いた御進講(huzur dersleri)の講師を務めたウラマーの伝記集が収められている。

首相府文書館の人事記録簿が電子化されて以後は、出身地をベースにしたオスマン官僚の伝記集が多数刊行された。カタログには名前、生年、出身地、父親の名・職業が掲載されているため、出身地で検索してデータを集積することが容易だからである。いくつか例を挙げると、ウスキュダル(Ardel 2005)、ウンイェ(Dağdelen 2004)、ティレボル(Yüksel 2004)、ギョレレ(Yüksel 2005)、トラブゾン (Bal ve Dağdelen 2012) などである。人口調査台帳と同様、黒海地方の出版活動が盛んである。

オスマン官吏たちはしばしば同郷のツテを頼って官職を得たので、出身地ごとの伝記集成にはそれなりの意味がある。ただし、オスマン官僚制の特質を明らかにするためには職種や官職ごとの集合的分析が必要だが、文書館のカタログからはどの職にあった人物か判別できず(実際、人々のキャリアはさまざまなのでカタログに記載することは無理だっただろう)、データを集めるのが難しい。例えば、イエメン出身の官吏について調べるのは容易だが、イエメンに赴任した人物を調べるには別の資料を必要とする。なお、刊行された上記の伝記集の多くは史料の忠実な現代トルコ語転写ではないため、微妙な表現について(例えば父親の職業が農業であった場合にçiftçiとしているのか、zürra, ehl-i ziraat等の表現を使っているか、など)正確な記述を知ることができないという問題点を抱えている。

さて、この履歴文書は特定の人物の伝記情報を調べるために利用できるのはもちろんであるが、ほとんどが歴史的には無名の官僚であること、そして形式的な画一性と大量のデータの存在ゆえに、多数の人物を対象とする数量的分析に適している。1970年代にSzyliowiczは、刊行されたÇankaya (1954) や、当時未刊行だった Pakalın (2008-09) を用いて官僚の数量的研究を行った(Szliowicz 1971; 1975)(永田(2001)もÇankaya (1968-71) に基づく行政学院卒業生の分析である)。Kushner (1994) もまた、Albayrak (1980-81) 編の伝記集を使ってウラマーの出自やキャリア・パタンを分析した。しかし、Pakalın (2008-09) やAlbayrak (1980-81) はもともと伝記集への採択の基準が不明確であるため全体を扱うのは統計的分析に適していない。数量的な人物研究をする際には、対象とする母集団が明確に定義できる必要がある。その意味で、一次史料を系統的に用いたおそらく最初の研究はFindley (1989) である。彼は366 名のオスマン帝国外務省官僚の経歴を、外務省文書館所蔵の人事ファイルと首相府文書館の人事記録簿を使って調査し、出身地、親の職業、教育歴、キャリア・パタンなどの計量的分析を通じて近代的官僚組織の成立について検討を加えた。同様に体系的な研究としては、オスマン末期のパシャを多角的に分析したBouquet (2007) が挙げられる。なお、鈴木(2012)も、Pakalın (2008-09) に基づいているが、パシャを対象とした集合的分析である。

ウラマーに関しては、イスラーム法官(シャリーア法廷裁判官)を対象とした秋葉(2005)、デルスィアームと呼ばれるイスタンブルのモスクの教師を対象とした Erbay (2009) がある。そのほか、履歴文書を主要史料として用いた集合的な人物研究としては、シリア出身のオスマン官僚を扱った Blake (1993)、アルバニア系官僚を対象とした Clayer (2005) (同著者には、Albayrak (1996) を用いてアルバニアのエルギリとリボホヴァ出身のイスラーム法官について調査したClayer (2000) がある)、アブデュルハミト二世時代の州知事たちを分析した Kırmızı (2007) などを挙げることができる。

履歴文書をとくに集合的な人物研究に用いる際には、第一に、対象とする史料がどのような経緯で残されているのか知る必要がある。例えば、人事管理システムが導入されるはるか以前にオスマン官界に入った官僚は、1890年に初めて官職を得た人物に比して履歴書を残している可能性が著しく低い。逆に青年トルコ革命後に初めて採用された官吏を首相府の総合人事記録簿に見つけることは期待できない。そのため、数量的に分析をする際には、最初の任官の年や生年によってグループ分けしたほうが有意義な結果が得られる。

第二に、履歴文書に残されているのは全て、何らかの官職にあった人物の情報なので、官職登用の制度についての理解が不可欠である。登用制度に違いがあれば、当然その職に任ぜられる人物の出自も変わってくるからである。

第三に、史料中の用語(とその社会的背景)をよく理解する必要がある。履歴文書は官僚たちの出自を知るための重要な史料だが、父親が官職にない場合、その職業が明示されることは必ずしも多くない。単に、… Efendi とか、… Ağa などと記されることが多いが、これがしばしば誤解のもとになっている。19世紀末においてEfendiとは読み書きのできる教養のある人物に対して用いられた敬称であるので、Efendiであるからといってウラマーであるとは限らない(そのような誤解をした例として、Miller (2003; 2005) )。他方、Ağa は軍人や地主を表す言葉であるよりも、読み書きのできない人物に対する敬称であることが多い(ağavattan, ağalardan などとなっている場合を除く)。また、姓の代わりに用いられる…zade, …oğlu といった名(şöhret)をもっているからといって、即名士であると結論することはできない。これら家族名は、同じ名前をもつ者が多い社会にあって他人と区別するために使われる指標の一つであることが多いからである。

最後に、どの史料についても言えることだが、記載内容(例えば自己申告の言語能力)を全て額面通りに受け取ってはならない。他方で、記載のない事柄についても考える必要がある(トルコ語で履歴書を書いているのにトルコ語能力に言及していない履歴書もある)。

履歴文書は集合的な人物研究に適していると述べたが、実はミクロな研究にも適している素材である。歴史的に無名の人物の人生について詳細な情報が得られる史料はほかにはなかなかない。Agmon (2004) が扱ったのは「無名」ではなく、シリア地方の伝記集にも載っているウラマーであったが、伝記集の情報と人事ファイルの情報とを組み合わせて一人のイスラーム法官の社会的バイオグラフィーを著している。Akiba (2007) は、長老府の下級吏員のうち、特定の地域の出身者18名という小規模な集団に関して、履歴書を「書く」行為に焦点を当てた研究である。

この史料類型に関する文献を最後にいくつか挙げておく。人事院に関する研究である Sarıyıldız (2004) を始めとして、Bouquet (2007); Findley (1989); Kütükoğlu, B. (1994); Çetin (2005) などが文官の履歴文書に関する基本的な参考文献である。長老府所蔵の履歴文書については、Bilici (1995); Zerdeci (2008); 秋葉(2005)を参照されたい。

(秋葉淳)

【刊行史料】

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  • –––. 1996. Son Devir Osmanlı Uleması. 2nd ed., 5 vols. İstanbul: İstanbul Büyükşehir Belediyesi.
  • Ardel, Ayten. 2005. “Sicill-i Ahval Defterleri’ndeki 19. Yüzyıl Osmanlı Bürokrasisinde Üsküdar Doğumlu Osmanlı Bürokratlar.” In Üsküdar Sempozyumu: 12-13 Mart 2004 Bildiriler, 513-526. İstanbul: Üsküdar Belediyesi.
  • Bal, Mehmet Akif, and İrfan Dağdelen. 2012. Osmanlı Arşiv Belgelerindeki Trabzonlu Devlet Adamları ve Bürokratlar (1879-1909). İstanbul: Trabzon Kitaplığı.
  • Çankaya, Ali, Mücellidoğlu. 1954. Mülkiye Târihi ve Mülkiyeliler. Ankara: Örnek Matbaası.
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  • Mardin, Ebül’ulâ. 1956-66. Huzur Dersleri, 3 vols. İstanbul: İsmail Akgün Matbaası.
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  • –––. 2005. Sicill-i Ahvâl Defterlerine Göre (1879-1909) Göreleli Memurlar. İstanbul: Göreleli Dernekler Birliği.

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(2013年3月作成)