回想録 Hatırat
本項では、オスマン帝国近代 (とりわけアブデュルハミト二世時代以降) を生きた人々が書いた回想録を取り上げる。周知のように、オスマン帝国は多言語の行き交った国家であった。しかし本項では、オスマン語・トルコ語の回想録のみを対象とする。
さて、回想録は本史料解題22.「エゴドキュメント/自己語り史料」で詳しく書かれている、エゴ・ドキュメントの一つである。近代以前からも書かれてきたエゴ・ドキュメントであるが、近代史の場合、誰それの回想録、回顧録、自伝など、刊行されたものを目にする機会が多い。しかし書籍の形になっていなくとも、民衆が政府に向けて出す嘆願書arz-ı hal等、文書館にあるような史料の中にも「自分語り」が含まれている可能性はある (Beşikçi 2019, 65)。さらに、旅行記seyahatnameも過去の体験を書き記すものであるから、例えばアブデュルレシト・イブラヒムの『イスラーム世界と日本におけるイスラームの普及』(1) (本書は和訳されている(32)) も、回想録の一種類として考えることが出来る。したがって、近代の回想録を他のエゴ・ドキュメントから厳密に区分することは難しい (Gümüş 2022b)。
それでも言えるのは、オスマン帝国に新たな文学形態であるmémoiresがフランスからもたらされ、その訳語にアラビア語由来のhatıratという単語が定訳として用いられるようになるのがアブデュルハミト二世時代後期だという点である。回想録を示す単語について補足すると、少し時代が下ると単数形のhatıra、さらに共和国期にはトルコ語の動詞anmakからの造語であるanıやanılarも回想録の意味で使われるようになる。アブデュルハミト二世時代には、法令集 (本史料解題7.参照) やメジェッレの編纂で著名なジェヴデト・パシャの『覚書』(13) や『上奏集』(14)、詩歌でも有名な官僚であるズィヤー・パシャによる「天の帳簿Defter-i A‘mal」(30)など、タンズィマート官僚が回想録的な著作を遺している (Olgun 1972, 415–417; Okay 1997, 445–446)。しかし、これらの著作はいずれも近代的な回想録以前の「自分語り」であり、トルコ語回想録の本格的な登場は青年トルコ人革命を待たなければならない。
オスマン帝国に立憲制をもたらした青年トルコ人革命は、回想録を公表する言論の自由、さらには回想録を出版することで政敵攻撃や自己弁護を行う政治文化を出現させた。例えば、立憲制の生みの親でありながら、アブデュルハミト二世の策謀により刑死したミドハト・パシャの回想録 (22、和訳は(31)) が革命直後に出版されていることは、この時代における言論の自由を示すものである。加えて、アブデュルハミト二世時代に相次いで大宰相を務めたキャーミル・パシャとサイート・パシャは、それぞれ回想録を公開しただけでなく、相手の回想録に対する「回答」すら執筆し、互いへの非難と自己弁護を行った。こちらはトルコ語回想録をめぐる政治文化を示す好例である(18) (19) (27) (28) (Olgun 1972, 420)。
青年トルコ人革命からわずか5年後、オスマン帝国はバルカン戦争に敗北を喫することになる。この敗戦は、第二次立憲制期に盛んになった回想録を用いた政敵非難・自己弁護の政治文化に、将校が参戦する契機となった。青年将校であるアリ・イフサン (サービス) が『バルカン戦役で我々が敗北したのはなぜか』(25)を出版して高級将校の責任を追及しはじめると、対する高級将校からはマフムート・ムフタール (カトゥルジュオール) が『第三軍団および第二東部軍の諸会戦』(20)で他の高級将校に敗戦責任があることを世に問いはじめた。この二つの回想録を嚆矢として、バルカン戦争後には将校による数々の回想録が出版されることになる。これらの回想録の出版は、戦争指導における責任究明/弁明という目的のもとに書かれていたものの、幾度もの敗戦を経験しながら、その総括をしてこなかった近代オスマン陸軍にとって、戦訓を文章で次代に伝えるはじめての機会となった (Olgun 1972, 420; Erickson and Uyar 2014, 479–482)。
なお、トルコ語回想録でとくに多い題材は、統一進歩委員会、そしていわゆる十年戦争、すなわちリビア戦争・バルカン戦争・第一次世界大戦・トルコ独立戦争である (Okay 1997, 446)。これらはいずれも将校が主な役割を担った事件であるから、回想録執筆者の多くは男性である。したがって、女性の書いた回想録は相対的に少なく、文学者でありながらトルコ独立戦争では曹長となったハーリデ・エディプ (アドゥヴァル) の『回想録』(2)、アブデュルハミト二世の娘であるアイシェ・スルタンの『わが父アブデュルハミト』(24)がその代表例である。また男性であっても、イブラヒム・アルカンという兵士が書いた『オスマン陸軍のいち兵士』(6)のような、市井の人びとが書いた回想録は点数が少ない。
回想録に関する参考文献としては、まずイブラヒム・オルグンによる論考とトルコ宗教協会イスラーム百科事典の「回想録」の項目を挙げることが出来る (Okay 1997; Olgun 1972)。回想録を用いる際には、まずこれらの文献を読み、誰の回想録が代表的なものであるか情報を把握するのが良いであろう。近年では、エゴ・ドキュメントへの関心の高まりを受けて、回想録の目録の刊行が相次いでいる。ムーサ・ギュミュシュとレジェプ・ディキジは、オスマン語かトルコ語の回想録の内、1.出版されたもの、2.新聞で掲載されたもの、3.雑誌で掲載されたもの、4.未刊行のものの目録をまとめている (Gümüş 2022c, 205–282; Dikici 2022, 187–201)。またメフメト・ベシキチは、第一次世界大戦に関連するエゴ・ドキュメントの目録を、自著の末尾に掲載している。彼がリスト化したエゴ・ドキュメントの多くは、第一次世界大戦前後についても触れているため、戦時以外に関心がある研究者にも有用な目録である (Beşikçi 2019, 355–399)。加えてベンジャミン・C・フォートナは、回想録を用いて近代オスマン帝国における教育の実像に迫る論文を発表しており、この論文の脚注にも有用な回想録が挙げられている (Fortna 2001)。
回想録のアクセシビリティについて考えるときには、回想録が他の史料に対して持つ特徴である形式の「新しさ」、すなわち多くの回想録が書籍として出版されるか、新聞や雑誌に掲載された点について触れる必要があろう (Olgun 1972, 416–417)。出版された回想録であれば、トルコの書店等で買うことも可能であるし、明治大学、東洋文庫をはじめとする日本の図書館にも収蔵されていることがある。トルコでは回想録の出版や再版も盛んにおこなわれており、とりわけトルコ産業銀行文化出版Türkiye İş Bankası Kültür Yayınlarıが熱心である。特に最近は、オスマン語回想録の手稿を歴史家が発見し、現代トルコ語に転写、もしくは翻訳して出版するケースも多くなっている。一方、オスマン帝国時代に出版されつつも共和国期に再版されなかった回想録であっても、アタテュルク大学図書館やアタテュルク文庫等、オスマン帝国時代の書籍を無料公開している機関のウェブサイトから閲覧・ダウンロードができる。
しかし注意しなければならないのが、未刊行の回想録や新聞・雑誌に掲載された回想録の存在である。トルコ歴史協会等の図書館や個人が回想録を保管していることもある他、『トルコ歴史協会雑誌 Belleten』、『人生 Hayat』誌 (1965–1982) 等の定期刊行物が回想録を掲載している場合がある。この場合は閲覧・複写するためにトルコの図書館へ行く必要があるとは言え、総じて回想録はアクセスが容易な史料ではあるだろう。
ここからは、トルコ語回想録のうち代表的なものを、回想録の利用方法を示しつつ紹介していく。回想録には、公文書には書かれない事件の詳細が書かれていることを期待できる。とりわけ秘密組織であった統一進歩委員会の活動を検討する際には、その創設者や会員であった人々の回想録が役に立つ。同会の創設者であるイブラヒム・テモの『統一進歩委員会の創設と祖国への奉仕、並びに国民革命についての我が回想』(16)、同会の機関誌を発行していた (ミザンジュ) メフメト・ムラトの『国民の聖戦』(23)、青年トルコ人革命の旗手となったエンヴェル (のちのエンヴェル・パシャ) の回想録(15)、アフメト・ニヤーズィの『ニヤーズィの回想録』(3)は、統一進歩委員会に関する代表的な回想録である。
また回想録には、公文書には書かれない日常についての記述が見られることも期待できる。アシュチュデデ・ハリル・イブラヒムの回想録(6)(回想録という題名で刊行されたが、実際には近代的な回想録以前の「自分語り」史料が後世に出版されたもの。原本手稿はイスタンブル大学図書館が所蔵している、Azamat 1991; Olgun 1972, p.415)、ハーリト・ズィヤー・ウシャクルギルの『四十年』(29)、テヴフィク・サーラムの『いかに私は学んだか』(26)は、近代オスマン帝国における生活や教育を知るうえで、貴重な記録となっている。
オスマン帝国末期からトルコ共和国にかけて活躍した将校であるキャーズム・カラベキルの『われらの独立戦争』(20)は、独立戦争についての回想録という点で、ムスタファ・ケマル・アタテュルクの『演説』(8)と双璧をなしている。『演説』がトルコ共和国の公定史観の根幹を構成した一方、アタテュルクを批判する内容を含む『われらの独立戦争』は、1933年の出版から1968年に至るまで、複数回発禁処分が下されてきた。カラベキルは若い時分より日記をつけているのだが、これに加えて電報や戦闘詳報等の公的史料を用いた彼の回想録は、公定史観とは別の角度から独立戦争を見るうえで欠かせない史料である (Zürcher 1986)。アタテュルクとカラベキルの回想録の相似形として、トルコ共和国第二代大統領のイスメト・イノニュによる『回想録』(17)、彼とはライバル関係にあったトルコ共和国第三代大統領ジェラール・バヤルの『私も書いた』 (11) も挙げることができる (Olgun 1972, 420–421)。
こんどは回想録の利用上の注意について、以下に説明する。アブデュルハミト二世の回想録とされる著作は二つあり、その内の一つにイスメト・ボズダーが刊行した『スルタン・アブデュルハミトの回想帳』(12)というものがある。この回想録の著者はアブデュルハミト二世ということになっているのだが、出版当初から偽作であるとの疑念が呈されており、結局はアリ・ビリンジによって偽作であることが示された (Birinci 2005)。ちなみに、アブデュルハミト二世のもう一つの回想録とされる『廃帝アブデュルハミトの見解と記憶』(4、土訳は(5)) についても、疑問の声が上がっている (Çetinsaya 2019)。前者のように回想録そのものが嘘であるという事例は稀であるにしても、回想録を用いる場合は、その回想録の著者はほんとうにその人物自身なのかというごく初歩的な部分から、十分に注意して内容を吟味する必要がある。
既に触れたように、回想録は時として政治的な意図をもって書かれる場合があるとともに、書き手が意図せざる記憶違いをしている場合もある。また、回想録の書き手は神ならぬ一個の人間であり、何らかの事件が発生した時に、自分がいなかった場所で起きたことは勿論のこと、事件の結末や意義を知っていたはずはない。それでもそうした内容が回想録に書かれていた場合は、書き手が事件の後に見聞きしたり考えたりしたことが反映されているということになる。これらはいずれも、歴史における記憶と体験の問題、すなわち過去に起こった事件は、それぞれの時代や個人的・社会的状況に絶えず影響されながら思い出されるという流動性、そして思い出すという行為の内に矛盾や誤解が必ず含まれ得るという人間らしさに関連している (Beşikçi 2019, 46-63; Şallı 2022)。
人物の同定や時系列の比定、元となる資料や出版社による改変の有無の把握、はじめからおわりまでの全内容 (何気ない写真や図ですら、書き手や編集者は何らかの意図をもって掲載させている) の確認といった、回想録を用いる上で技術的に確認すべき点は勿論たくさんある。先に述べたように、回想録は再版や死後の公表も盛んな史料であるし、オスマン帝国崩壊からかなり時間が経過してからオスマン帝国時代を回想することもあるから、回想録に書かれる事件と回想録との時間的距離が、回想録によっててんでバラバラであるということもある。しかし繰り返しになるが、回想録は記憶と体験の問題を孕んだ史料であるから、1.書き手が回想録を書いた時代や状況、2.書き手が自身をいかなる存在として考えていたか、もしくは読み手に示そうとしていたかについて、回想録自体、もしくは先行研究や他の史料を用いてとりわけ詳しく検討する必要がある。何故なら、この2点こそ、書き手の記憶の反映とも言うべき回想録の内容を規定するからである (Beşikçi 2019, 76–80)。
今述べたように、回想録は記憶と体験に由来する特性を持っているが、だからこそ近年の歴史学が強く注目している感情や社会の集合的記憶を知るためには好適な史料でもある。『東洋文庫Archiv Orientální』88号 (2020年) や『社会史アカデミーToplumsal Tarih Akademi』創刊号 (2022年) のエゴ・ドキュメント特集号に掲載されている論考も、おおむねこうした傾向に沿って回想録を分析していると言えよう。ここからは回想録を主に用いたいくつかの研究を例出し、回想録の持つ史料的可能性とそれに取り組む研究の紹介をして本項を終えたい。
ヒクメト・チャール・ヤルドゥムジュの『共和国と感情』(Yardımcı 2022) は、アタテュルクの実質的なプロパガンディストであったファーリヒ・ルフク・アタイの回想録である『火と陽』(9)や『オリーブの木』(10)を含む著作を分析し、オスマン帝国と東洋を蔑み、共和国とアタテュルクを誇る感情がトルコ共和国の公定史観に組み込まれた過程を描いている。この研究は、回想録を用いた感情史研究の最初期の例とみなすことができよう。
トルコの公定史観について、記憶という別の視点から取り組んだのがメフメト・ベシキチの『世界大戦を生き、記憶する』(Beşikçi 2019) である。彼は、第一次世界大戦について触れる回想録 (その多くは共和国期に書かれている) を分析し、第一次世界大戦は「解放」前のトルコ民族の苦境であった、非トルコ人はトルコ民族の重荷であったとする公定史観を書き手がいかに内面化していたか、そして公定史観には沿わない体験をいかに記憶していたかについて、考察している。この研究は、回想録を用いた記憶の研究として代表的なものと言えよう。
回想録を史料として用いる際によく問題となるのが、回想録の内容における真実性である。この点を追及しているのが、ベンジャミン・C・フォートナ (Fortna 2017) とポラト・サーフィ (Safi 2020) の研究である。両者が分析の対象としているエシュレフ・クシュチュバシュは、独立戦争中に反アタテュルク活動に身を投じた一方で、第一次世界大戦には「特殊組織Teşkilat-ı Mahsusa」の創設者として、祖国のためにゲリラ戦を遂行したとされてきた人物である。彼は回想録を出版することで、こうした伝説的存在としてのイメージをトルコ社会に形成したのだが、両者の研究は彼の回想録の虚構性を丁寧に明らかにし、「伝説」の実態を解明している。両者の研究は伝統的な伝記的研究にも近いが、回想録を用いて既存の歴史叙述を乗り越えたという点では、ヤルドゥムジュやベシキチの研究と方向性を同じくするものである。
ここで示したのは僅かな例ではあるが、これらの研究の特徴は、歴史学における言語論的転回を踏まえ、回想録から客観的な事実を抜き出すよりも、なぜこのように記憶されたのかという認識を問うために回想録を用いる点にある。このようなアプローチは、史料としての回想録の持つ可能性を広め、歴史家を新たな研究に導いてくれるであろう。
(永島 育)
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本稿の執筆にあたっては、秋葉 淳氏より様々なアドバイスとコメントを頂いた。ここに記して感謝を示したい。
(2023年5月作成)