オスマン帝国史料解題 総論
一般に歴史学の史料は、大まかに言えば文字史料とそれ以外(絵画などの図像史料、工芸品、建築物、その他のモノ史料、証言、口頭伝承、伝統行事、景観や地形など)に分けられるが、ここではオスマン帝国史研究者に最もよく使われていることから、主として前者を扱う。文字史料はその形態により、写本、文書(帳簿も含む)、出版物、碑文などに分けることができる。以下では、この分類にそって概略を述べたい。
なお、オスマン帝国史料全般の参考文献をいくつか挙げておく。まず、最も包括的な研究法のガイダンスであるFaroqhi (1999) は必読である。また、Kreiser (2001) も史料と研究史によく目配りが利いている。トルコ語では、タンズィマート以前までだが、Afyoncu (2007) が非常に詳しく、有用である。
1. 写本(手稿本)
写本とは、ここでは、自筆本も含む、手書きの書物を指し、広い意味で「読む」ことを目的として制作されたという点で、組織あるいは(諸)個人での特定の事務的使用を目的とする「文書」とは区別する。オスマン帝国史と言えば文書研究、と見なす向きがあるが、写本史料もオスマン期以前と比べて大量に伝世しており、写本を使った研究にもまだまだ大きな可能性が残されている。写本にはその内容によりさまざまなジャンルが存在する。従来、歴史研究者によって多く使用されてきたのは、歴史書、伝記集、旅行記、地理書、政治論(献策書)などであるが、近年では法学書、タサウウフ(神秘主義思想)などの宗教書、韻文などの文学書も、狭い意味での法学、スーフィズム研究、文学研究にとどまらずに、歴史学的な観点から読み直されて利用されている。文書史料について冒頭に触れたが、写本と、国家の官僚機構の中で生み出されたオスマン公文書とでは当然書かれている内容に違いがある。後者は国家制度について知るのに適しているが、例えばある制度が生まれた政治的あるいは思想的背景を知るには写本史料(政治論、歴史書、思想書など)を読まないとわからないことが多い。文書は万能ではないのである。近年ではむしろ写本を中心史料とした研究に良質なものが多い印象がある。とくに興味深いものとして、写本の表紙や欄外の書き込みに着目して、どのように書物が読まれていたかを考察する研究が現れている(Değirmenci 2011; Paić-Vukić 2011)。テクストの受容、読まれ方という観点からは、合冊 (mecmû‘a) という形態も注目されており、写本研究もさらなる展開をとげつつあると言える。
さて、写本を実際に見るためにはそれが所蔵されている図書館に行かないといけない。そのためにはいろいろと許可をとるなどの必要があることが多いが、トルコの各図書館の利用法については、東洋文庫拠点の「イスラーム地域 資料館・研究機関ガイド」を参照されたい。ただし、図書館にたどり着けたとしても、デジタル化の進んだ最近の図書館では、残念ながら現物を手に取って見られないことも多く、その場合は、マイクロリーダーやパソコンの画面を通して閲覧することになる。現物を直に見ることの価値は何ものにも代え難いが、写本の保存という観点と、閲覧や複写の利便性という点からはやむを得ない趨勢だろう。トルコ最大の(おそらく中東・イスラーム圏最大の)写本図書館はイスタンブルのスレイマニエ図書館であり、ここにはイスタンブル市内の多数の図書館の蔵書が集約されている。本自体の所蔵が別の図書館でもスレイマニエ図書館のパソコンを通じて閲覧・複写が可能なものもあるので便利である。また、いくつかの図書館では写本を無料あるいは有料でウェブページ上に公開しているので、チェックするとよい。写本の複写版がそのまま刊行されることもあるが、もっと多いのは、写本をもとに活字化した刊本であり、オスマン語の場合はトルコではラテン文字転写による出版が普及している。いくつかの異本をつきあわせた文献学的に厳密な校訂本は、残念ながら多くないことは注意すべき点である。
さて、写本にアクセスするためには、まず、どの図書館に所蔵されているかを知る必要がある。オスマン史研究に利用可能な写本史料はオスマン語だけではなく、アラビア語やペルシア語で書かれていることも多く、アラビア語であれば総合的書誌はBrockelmann (1937-49; new ed., 2012) とSezgin (1967)、ペルシア語であればStorey (1927-) と相場が決まっているが、オスマン語については網羅的な文献目録は存在しない。Babinger (1927; 1982) は、オスマン朝における広い意味での歴史書の文献目録であり、今日でもきわめて有用である。最近刊行されたAfyoncu (2007) は、史書、献策書、伝記集等、幅広いジャンルの叙述史料について、刊行史料も含めて詳細に紹介しているので、ぜひ参照されたい。
トルコ国内の図書館に所蔵されている写本の総合目録は、1979年から刊行が開始されたが、地名のアルファベット順が早いものとイスタンブルの図書館の一部などにとどまっており、未完である (Kütüphaneler Genel Müdürlüğü 1979-)。2004-05年には国立図書館Milli Kütüphaneから『トルコ写本総合目録』がCD-ROMとして刊行された (Milli Kütüphane 2004-05)。筆者は未見のため、これがどの程度をカバーしているか確認していない。だが現在では、トルコの文化観光省がTürkiye Yazmalarıというサイトを運営しており(http://www.yazmalar.gov.tr)、ここではトルコの243の図書館(2012年7月現在)の所蔵図書をカバーするデータベースから検索することが可能である。さらに、会員になると一部の図書については画像を閲覧することができ、有料でダウンロードもできる。
2.文書
オスマン帝国史研究に関わる文書史料は、公文書と私文書に分類することができ、公文書はさらに、オスマン政府(地方の出先機関も含む)の作成、受領、保管したいわゆるオスマン(公)文書と外国文書とに分けられる。オスマン文書については、その最大のコレクションであるイスタンブルの首相府オスマン文書館所蔵分が1億5千万点以上に上ると言われている。この膨大なアーカイブズが今日まで残されているという点が、オスマン帝国史の史料状況を、イスラーム史研究のみならず世界史上においてもユニークなものにしている。ただし、現存するオスマン文書の圧倒的多数は、官僚組織が分化・複雑化した19世紀後半以降に作成されたものである。それに比べると17世紀以前に由来する文書の、全体に占める割合は小さい。そして15世紀以前に属する文書は絶対量としてきわめて少ない。伝世する16、17世紀の文書の多くは帳簿(defter)であり、紙葉体の文書(evrak)は少数にとどまる。一般にオスマン文書は形態上の特徴から、紙葉体の「文書」と冊子体の「帳簿」に分類されるが、これは機能面での区分(伝達機能/照合機能)に対応する。時代が遡るほど帳簿の比重が大きくなるのは、それが作成された後の時代にも参照され利用されたから、あるいはそのために保管されたためである。
首相府オスマン文書館のコレクションの大部分がイスタンブルの中央政府が蓄積していた文書であるのに対して、地方のアーカイブズは必ずしも充実していない。これは19世紀後半に至るまで、地方官が帰任する際に関係文書を持ち帰ってしまったためだと考えられ、それに対して曲がりなりにも業務の引き継ぎが行われていたシャリーア法廷については、法廷台帳が継承され、今日まで数多くが伝世することになった。19世紀後半ともなれば、恒常的な地方官庁が建設され、公文書が保存されていたはずであるが、トルコ国内ではシャリーア法廷台帳が地方都市のアーカイブズに残されていたほぼ唯一の史料群である(アンカラの国立図書館に集約された後、現在は首相府オスマン文書館に移管されている)。なぜこのような状況であるのかという問題については、第一次世界大戦とその後の混乱で散逸したとも言われるが、それではシャリーア法廷台帳が残存していた理由が説明できない。とすればトルコ新政府に没収された可能性が高いが、現在のところ詳細は不明である。イスタンブル以外のアーカイブズの中では、ソフィアの国立図書館(聖キリル・メトディウス図書館)がトルコ首相府オスマン文書館に次ぐ規模のコレクションを有する。というのも、ブルガリア国内に伝世していた文書のみならず、1931年にトルコ共和国から購入した「古紙」の中に含まれていた文書を多数収蔵しているからである(一部、http://www.nationallibrary.bg/cgi-bin/e-cms/vis/vis.pl?s=001&p=0192&n=&vis=からダウンロード可能)(BOA 1994)。次に規模の大きいオスマン文書アーカイブズはカイロにあり、シャリーア法廷台帳を始めとして種々の行政、財政文書を保有する国立公文書館 Dār al-Wathā’iq al-Qawmiyya がその代表的機関である(ワクフ省その他の機関にもオスマン時代の文書を含むアーカイブズが存在する)。そのほか、旧オスマン帝国領にあった諸国のそれぞれの文書館にオスマン文書が存在する。しかし、戦争や内戦によってこれらの文書館のいくつかは危機的な状況にある。既にバグダードのオスマン文書コレクションは先のイラク戦争中に焼失し、ダマスカスの国立文書館 Markaz al-Wathā’q al-Ta’rīkhiyya (Marino and Okawara 1999; 五十嵐 2002)、トリポリ(リビア)の国立文書館(秋葉 2007)の現在の状況は不明である。社会主義政権崩壊後の混乱をくぐり抜けたアルバニアの文書館は、オスマン支配が長かったこともあり、末期を中心に充実したコレクションを有するとのことである。マケドニアの国立文書館はシャリーア法廷台帳のほか、市当局(belediye)に属する文書・帳簿や、地券局の帳簿を収蔵していることが特徴である。その一部はトルコ首相府オスマン文書館で閲覧可能である (BOA 1996)。トルコ以外の文書館については、Faroqhi (1999, 76-77) も参照されたい。
再びトルコに戻ると、上述のように、首相府オスマン文書館が最大のコレクションを誇る。首相府オスマン文書館には近年、アンカラの国立図書館に集約されていた各地のシャリーア法廷台帳が移管されたほか、トプカプ宮殿博物館附属文書館の文書の一部のデジタルコピーも閲覧できるようになり、文書史料の集中化が図られている。まだまだ未整理で未公開の文書も多く、今後も「新発見」が期待できる。オスマン文書の集約化の対象外となっているコレクションの一つは、旧長老府(シェイヒュルイスラームの官庁)が作成、保管していた文書群である。これは現在イスタンブル・ムフティー局附属文書館に収蔵されている。 その収蔵資料には二系統あり、第一にイスタンブル市内の各シャリーア法廷の法廷台帳のコレクションで、第二には、長老府の官僚組織に属する文書・帳簿の類で、ほとんどが19世紀後半以降のものである。また、旧オスマン海軍に属する文書は、海軍博物館附属文書館に所蔵されている。アンカラには、首相府ワクフ総局ワクフ資料文書館Başbakanlık Vakıflar Genel Müdürlüğü Vakıf Kayıtlar Arşiviが旧ワクフ省から、地券・地籍簿総局文書館Tapu ve Kadastro Genel Müdürlüğü Arşiviが旧Defter-i Hakani Nezaretiから、それぞれ継承したアーカイブズを有している。これらは15、16世紀の文書も含んでいる点で、オスマン史研究上重要な文書館である。オスマン陸軍の文書はトルコ軍参謀本部の戦史・戦略研究部(ATASE)にあるとされるが、アクセスはきわめて難しいと言われている(少し古いが粕谷 (1999) 参照)。以上のほかにもオスマン時代の省庁のアーカイブズをトルコ共和国の各省庁が継承し、首相府文書館に移管されていない例があると思われるが、詳細は明らかでない。例えば、共和国時代にも引き続き公務に就いた旧オスマン官僚の履歴関連文書はそれぞれの省庁(少なくとも、内務省、司法省、宗務庁)のアーカイブズにあることが知られている。なお、何らかの理由で本来の出所から持ち出されて図書館等に所蔵されているオスマン公文書もあるので注意されたい。代表例としては、イスタンブルのアタテュルク文庫 Atatürk Kitaplığıで、15、16世紀の租税台帳等も含まれている。これ以外にも、帳簿類はとくに写本図書館のコレクションに「紛れて」いることがある。
オスマン文書の概要については、まずは髙松(2004, 2005)を参照されたい。現時点で最も体系的なものはKütükoğlu (1998) であり、これが刊行されるまではGökbilgin (1979) が定評のある文書学の手引書であった。そのほか、旧東欧諸国の研究に見るべきものがある。もちろん、本オスマン帝国史料解題もぜひ参照してほしい。文書史料を用いるには、各文書館の分類についてよく知っておかないといけない。そのためには、それぞれのカタログや手引書を参照する必要があり、首相府オスマン文書館のBOA (1995; 2010)、トプカプ宮殿博物館附属文書館のUzunçarşılı, Baybura and Altındağ (1985; 1988) とTopkapı Sarayı Müzesi Arşivi (1938-40)、イスタンブル・ムフティー局附属文書館の長老府コレクションのBilgin, Yurdakul ve Kurt (2006) がある。各文書館のHP及び、TBIASの「イスラーム地域資料館・研究機関ガイド」も参照されたい(首相府オスマン文書館のカタログはhttp://www.devletarsivleri.gov.tr/katalog/から検索可能)。
文書が閲覧できたとしてもそれを読めなければ利用することはできない。上位の官吏に宛てて出された文書の原本(清書)でない限りは、文書はきれいに書かれず、読みにくいことが通例である。財務関係の帳簿のように、外部の人間には読まれないように特殊な書体(スィヤーカト体)で書かれることもある。文書の種類・機能によって書体が異なることが多いので、自分が使う書体を覚える必要がある。それに加えて、文書には種類ごとに形式が定まっており、定型的表現も多いので、文書の形式についての知識が必須となる。書体については、Eminoğlu (7th ed., 2006) のようなオスマン語入門書でもある程度学ぶことができる。スィヤーカト体は、Fekete (1955)、Öztürk (1996)、Günday (1974) が定番である。文書の形式や定型句は、やはりKütükoğlu (1998) を参照されたい。いずれにしても文書を読む技術は、「慣れ」の要素が大きいので、まず研究書や論文の付録にあるような文書の複写と転写を照合させながら練習し、後は量を多く読んでいくしかない。
さて、ここまでオスマン公文書を解説してきたが、オスマン帝国内で作成された私文書についても述べておきたい。膨大な公文書のアーカイブズに対して、私文書がごく少数しか伝世していないことは、オスマン帝国史料の特徴でもある。その背景については、国家権力が強大であったこと、識字率が低かったこと、相次ぐ戦争や人口移動によって文書が失われたこと、などが考えられている。専門的な書記や代書屋が職業として発達していたために地方名士ですら字が書けないことも珍しくなかった点は、近世日本社会と比べると大きな違いである。ただし、全くないわけではなく、Faroqhi (1999, 58) は、タリーカの修道場(テッケ、ザーウィヤ)が保管していた文書群を使った研究について紹介している。また、トルコ国外の文書館では、元々個人の所有していた文書が集められている場合もある。さらに、19世紀末以降になると個人に属するまとまった文書群も見つかっている。例えば、Dumont (1986) はオスマン官僚が残した日記をもとにした研究であり、Akiba (2000) も、家計簿、書簡、領収書等からなる、一オスマン官僚の私文書コレクションを利用している。そのほか、非ムスリムの商人などの家系に残された文書もあるようである。今日、手書き原稿をもとに続々刊行されている帝国末期オスマン人の回顧録や日誌の類いも、ある意味私文書の一種と言えるだろう。私文書の歴史的価値が広く認知されていないことも、歴史研究者のアクセスを困難なものにしており、秘匿されたり、バラバラに古物商に売却されたりすることになっている。前者の場合であれば、研究者の努力次第では今後まだ発掘の可能性も残されており、全く期待できないわけではない。実際、近年、アレヴィーのデデ(宗教指導者)の家系に伝世する文書が発掘されている(Karakaya-Stump 2010)。
オスマン政府ではないが、オスマン帝国内の公的機関のアーカイブズも存在する。代表的なのは、キリスト教やユダヤ教の共同体に属するアーカイブズである。残念ながら正教会とアルメニア教会の総主教座のオスマン時代のアーカイブズは、伝世してはいるらしいがアクセスは不能である(後者はエルサレムの総主教座に移管されたという)。ユダヤ教徒のアーカイブズは、アクセスについては不明だが、イスタンブルのラビの法廷記録が現存し、研究もある。トルコ国外に目を向ければ、アソスの修道院(ギリシア)など、オスマン時代の修道院文書が存在する。また、オスマン末期の発券銀行だったが英仏資本によって経営されていたオスマン銀行のアーカイブズは整理され、カタログ化されている(Eldem 1994)。ゾングルダク鉱山は国営なので政府機関と言えるかもしれないが、そのアーカイブズは現在主としてカラエルマス大学とトルコ石炭局教育課Türk Taş Kömrü Eğitim Dairesiが所蔵している(Quataert and Özbek 1999)
最後に、外国の公文書については簡単に述べるに留めるが、英国国立文書館(ロンドン)、フランス外務省文書室ナント分館、オーストリアの帝室・宮廷・国家文書館(Haus-, Hof- und Staatsarchiv, Wien)、ヴェネツィア国立文書館など、オスマン帝国と深い関わりのあった国の文書館が代表的である。なお、日本にもないわけではなく、アジア歴史資料センター(http://www.jacar.go.jp)のWebページで「土耳古」で検索してみると1619件ヒットする(2012年7月30日現在)。
3.出版物
よく知られているように、オスマン帝国のムスリムによる最初の印刷所は、イブラヒム・ミュテフェッリカが1727年の勅令を受けて設立したものである。1729年の最初の書物の刊行をもって(ムスリムの手による)アラビア文字による出版活動が開始されるが、18世紀の間に刊行された書物は少数にとどまり、出版の本格的発展は19世紀に入ってからである。その後トルコでは1928年の文字改革によってアラビア文字によるトルコ語表記が廃止されてしまうため、アラビア文字表記のトルコ語(オスマン語)の出版物の点数は限られている(復刻版や史料の翻刻でない限りは今後増えることはない)。オスマン語刊本の総目録であるÖzege (1971-79) によれば、その総数は25,554点である。この目録は、19世紀以降の研究をするならぜひ一度は最初から最後まで目を通していただきたい。Özege の目録はタイトル順で並んでおり、インデックスがないが、他方で、アンカラの国立図書館Millî Kütüphane が編纂しているオスマン語刊本の目録(1990-)は著者順なので、こちらも有用である。ただし、Hの項まで刊行されたところで停止している。それに代わって現在は同図書館が、「旧字トルコ語出版物総目録」Eski Harfli Türkçe Basma Eserler Bibliyografyası(http://eyayinlar.mkutup.gov.tr/cgi-bin/WebObjects/EHT)というWebページを運営しており、ここからはキーワード検索だけでなく、タイトルと著者名によるブラウズもできるのでぜひ活用されたい。なお、この目録の「旧字」とは、アラビア文字だけでなく、アルメニア文字とギリシア文字を含んでいる。
オスマン語の刊本は上述のように数が限られており、今日では古本市場で入手するのはきわめて困難になっている。その代わり、 デジタルカメラやスキャナー が普及したお陰で、現在では図書館で比較的容易に、かつ、安価で複写を手に入れることができるようになった(かつてはコピー係の手荒な本の扱いにびくびくしたものだった)。オスマン語刊本のコレクションが充実している図書館は、アンカラの国立図書館、イスタンブルのベヤズト国立図書館、アタテュルク文庫、ミッレト図書館などである。スレイマニエ図書館にも刊本が収蔵されているのでチェックした方がよい(各文書館のHP及び、TBIASの「イスラーム地域資料館・研究機関ガイド」参照)。日本では財団法人東洋文庫と東京大学東洋文化研究所図書室が充実した蔵書を誇る。
オスマン語刊本の中で利用度が高いものと言えば、史書、人名録・伝記集、辞書事典類、法令集・議会議事録等政府刊行物などであろうが、当時の社会を知るという点では、より多様なジャンルの刊行史料を読むことも必要になるだろう。実際、上に挙げたジャンルは必ずしも当時広く読まれた本ではない。おそらくは、初歩的な宗教書、通俗的読み物や小説(翻訳も含む)、学校教科書、実用書(いわゆるハウツーもの、手紙文例集や独学フランス語教本など)、啓蒙書や「科学」書(例えば、衛生学、社会進化論など)といった類いこそ、当時需要のあった本であった。今後はこのような分野の史料を使った研究も増えてくるだろうと思われる。幸い、東洋文庫のオスマントルコ語のコレクションには多種多様なジャンルの書物が含まれている。ぜひ活用していただきたい(東洋文庫HPの蔵書検索だけでなく、東洋文庫イスラーム地域研究資料室TBIASのHP上の収集資料データベースも参照のこと)。また、今日ではオスマン語の本もGoogleブックスや Internet Archive (http://archive.org) から PDF版を無料ダウンロードできる場合がある。比較的よく知られた本であればぜひ試していただきたい。
オスマン語の定期刊行物については、本史料解題の「雑誌」「新聞」の項を参照されたい。また、オスマン社会は多言語・多文字社会なので、出版物はオスマン・トルコ語に限られるわけではない。アラビア語、ギリシア語、アルメニア語、ユダヤ・スペイン語(ラディーノ)、ブルガリア語、セルビア語、ルーマニア語、アルバニア語、ペルシア語、クルド語等、オスマン帝国領内で刊行された出版物に用いられた言語は多数存在する。トルコ語でもギリシア文字で書かれるカラマン語、アルメニア文字表記のアルメニア・トルコ語もある。これら諸言語の史料については、それぞれ別に項目を立てて解説することにしたい(カラマン語史料についてはこちらを参照)。
4.碑文
碑文については、本史料解題で「碑文(全般)」と「墓碑」の項目で解説することを予定しているので、ここではごく簡単に触れておきたい。碑文は、宮殿、城塞、モスク、学校、水道施設、隊商宿、商業施設、墓廟、墓石など、政治的、公共的あるいは記念碑的建造物には必ずと言っていいほど加えられたもので、それから建造物の建設者(あるいは碑の対象者)、建設年、建設意図などの情報を得ることができるほか、権力の表象、建設の社会的背景、(碑文がたいてい韻文であることから)詩人とパトロン、詩人と社会の関係などを探究することができる。
史料としての碑文の利用という点でまず注目すべきは、東京外国語大学とトルコ歴史協会の共同プロジェクト「オスマン碑文データベース」http://www.ottomaninscriptions.com/index.htmlである。これは、オスマン帝国領につくられた全てのトルコ語、アラビア語、ペルシア語碑文(ただし、墓碑は除く)のデジタルアーカイブズをつくる試みで、碑文の写真とそのラテン文字転写、その場所や制作年(碑文の詩が示す年代)などの情報のデータベース化が進められている。まだ始まったばかりのプロジェクトであり、イスタンブルが中心であるが、今後の進展が期待される。
墓碑については、ここでは、近年研究が進んでいることを指摘するに留めたい。代表的な研究として、Laquer (1993) とEldem and Vatin (2007) を挙げておく。
(秋葉淳)
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(2012年3月作成、2012年8月更新)