第12回中央アジアの法制度研究会(2012/12/15-12/16)

イスラーム地域研究東洋文庫拠点は、下記の要領で、科学研究費補助金「文書史料による近代中央アジアのイスラーム社会史研究」との共催により、第12回の研究会を開催しました。

【日時】:2012年12月15日(土)~16日(日)
15日:13:00~17:40 (懇親会19:00~)
16日:10:00~12:00
【場所】:静岡労政会館第2会議室(5階)

【プログラム】
12月15日(土)
13:00-13:20 開会挨拶 堀川 徹(京都外国語大学)
参加者自己紹介
13:20-15:20 中山 顕(名古屋大学法学研究科博士課程)
「ロシア10月革命後の人民裁判所成立に至る議論の諸相」
15:20-15:40 休憩
15:40-17:40 木村 暁(筑波大学人文社会系特任研究員)
「ブハラ・アミール国の司法行政:その機構面を中心に」
19:00-    懇親会

12月16日(日)
10:00-12:00 額定其労(エルデンチロ)(京都大学法学研究科博士後期課程)
「清代モンゴルの『旗』統治と裁判」

【概要】
今回で第12回を迎えた中央アジアの法制度研究会は、2012年12月15日(土)、16日(日)の2日間にわたって、静岡労政会館5階第2会議室で行われた。今回は17名の参加者を迎え、本研究会の成果として公表される論集の出版に向け、法学と歴史学それぞれの立場よりテーマ設定から用いられる概念や語彙の適切さに至るまで、広範かつ詳細な議論を行った。

冒頭では、堀川徹氏より本会の趣旨とこれまでの経緯についての紹介があり、その後磯貝健一氏より今後の本研究会の方向性についての説明がなされた。

中山顕氏の報告「ロシア10月革命後の人民裁判所形成に至る議論の諸相」は、これまでボリシェヴィキ内の議論を軸に検討されてきたロシア革命期の司法制度の再編過程における、エスエル左派の議論とその人民裁判所設立に対する影響を実証的に明らかにした。農民の広範な支持を受けたエスエル左派は、革命後の1917年12月から1918年3月に至るまで、ボリシェヴィキと連立政権を組んだ。本報告ではこの時期に行われた、帝政期の旧法適用と革命的法意識、裁判官の選挙、人民陪席判事制度という三点をめぐる議論の展開とエスエル左派代表たちの見解が詳細に検討されている。質疑では、陪審制をめぐる議論への注目に高い評価の声が上がり、さらなる展開として帝政期の陪審制、ソ連期における陪審制の廃止、そしてソ連崩壊後の陪審制の「復活」という流れに、本報告で取り扱った議論をどう位置づけるのか、という問題提起がなされた。その他、プロイセン、イギリスなど西欧の影響を受けジグザグに展開してきた帝政期ロシアの法文化との整合性、人民裁判所と革命法廷との関連、行政区分や裁判所構成員の名称の訳出の問題など多岐にわたる討論がなされた。

木村暁氏の報告「ブハラ・アミール国の司法行政―その機構面を中心に―」は、18世紀から20世紀初頭まで現在のウズベキスタン共和国ブハラ市を中心に成立したブハラ・アミール国における司法制度、行政制度の展開を包括的に議論する試みであった。セミョーノフ『ブハラ・ハン国末期の中央行政統治機構概説 Очерк устройства центрального административного управления Бухарского ханства позднейшего времени』(スターリナバード、1954年)以来本格的な研究が継続的に進展してこなかった同国の行政制度の検討を踏まえた上で、行政と裁判制度の関係、司法にかかわる人材供給と昇進のシステム、カーズィー(イスラーム法廷の裁判官)、ムフティー(法律上の見解を提示する資格を持つ法学者)たちの日常業務に至る議論を展開し、同国において司法が国家の統制下にあり、行政機構を支える機能を持っていた、と結論した。質疑では、「司法行政」について、司法と行政が分離していたのか否かという観点から、帝政ロシアや清朝、日本などの定義と比較し、いかにこれらの用語を定義すべきかについて突っ込んだ議論がなされた。また地方行政を担ったハーキムとカーズィーとの関係、裁判外で行われる和解と法廷との関係、カーズィーの俸給の問題などについて討論が続いた。

額定其労(エルデンチロ)氏の報告「清代モンゴルの「旗」統治と裁判」は、提出を目前にした氏の博士論文から、清代モンゴルの旗ごとの裁判制度の多様性とその社会的背景(とりわけ農耕社会と遊牧社会の別)を明らかにした。旗衙門で行われた旗内の裁判、そして国家裁判制度(清朝中央に上申された「命盗重案」の処理)の具体相が解明されている。質疑では、大清律令の適用をめぐる清朝本土との裁判の原理的な違いの有無、清朝の版図に組み込まれたチベットにおける裁判制度との比較の必要性、禁止されていた私的裁定が行われていた実態をどう解釈するか、といった問題について議論が行われるとともに、「上申」は「告発」と解釈できるなど、用語をめぐる討論が行われた。

最後に論集の執筆予定者別に執筆内容(目次、構成など)の確認と議論が行われた。本研究会では中央アジアの法制度を、歴史学と法学それぞれの観点から明らかにすることに主眼が置かれているが、今回の議論により使用する概念や用語について細かなすり合わせが行われるとともに、比較の議論が進む中で、清朝から中華民国を経て中華人民共和国へ、そして帝政ロシアからソ連を経て独立ロシアへと至る、中央アジアの周辺世界の法制度の変遷を逆照射する研究の可能性が見えてきた。中央アジアの法制度の多様性とその動態に富んだ社会のあり方が、隣接する地域の法制度の理解を要求するとともに、こうした逆照射を可能にしていると思われる。

(文責:塩谷哲史)

« »