オスマン詩

オスマン朝に限らず、前近代のイスラーム世界にあって、「詩」が重要な位置を占めていたことは言うまでもない。文学的なイマジネーションの出口として、様々な形式の詩が利用されたのみならず、詩作を媒介とした人的なつながりが社会的に重要な位置を占めたからである。教養ある支配層の人々は詩を楽しむサロンを通じて人的ネットワークを形成し、オスマン官人としての成功を目指す人々にとっては、詩の献上は出仕のきっかけを掴む有効な手段でもあった。また、詩に描かれた文物や人々の感情は、当時の社会を理解する手掛かりとなる。こうしたことから、詩は、歴史研究にも重要な史料となるが、その方向での研究は、依然、端緒についたばかりである。

まず、オスマン詩の研究に必要な文献やツールをいくつか紹介しておこう。オスマン詩研究の分野では、Gibb (1900-09) やLevend (1943)、Andrews (1976) などの古典的研究をはじめ、豊富な蓄積がある。たしかに言語改革を進めたトルコ共和国にあってオスマン詩が冷遇された期間も長かったが、近年出版物の数は非常な勢いで増加している。その背景にはさまざまな要因があるが、具体的には、大学の数がふえトルコ語トルコ文学学科が急増した事情が大きい。トルコ各地の大学研究者の手でディーワーン(詩集)の校訂が進み、多数の詩人たちの足跡が掘り起こされている。これらの文献は、1990年以来、アイヌル氏の努力で目録化されてきたが (Aynur 2005)、現在では、それを核にしたデータベースがインターネット上で利用できるようなり、たいへん使いやすくなった。The Online Bibliography of Ottoman Literature(http://www.ottomanliterature.com/index.htm)は、オスマン古典文学研究に必須のサイトである。

一方、歴史研究の分野でも、オスマン詩を史料として利用した新しい研究が現れている。たとえば、オスマン朝社会における「恋愛」を扱った Zeʼevi (2006) やAndrews and Kalpaklı (2005) などである。また、オスマン詩と社会とのつながりに着目した研究として、Serdaroğlu (2006)、Öztekin (2006) などがある。さらにİnalcık (2010)、Kartal (2008) などはイランでの詩の伝統、そのオスマン朝への影響を中心に、宮廷詩と宮廷人らの世界を描く。とはいえ、詩を歴史史料として利用するには、なにより詩の意味を正確に理解し、それを味わうところからはじめなければなるまい。オスマン詩の英訳では、前述のGibb (1900–09) やAndrews (1976) のほか、Andrews, Black and Kalpaklı (1997) があり、入門には最適である。現代トルコ語への翻訳・解説では、Pala (1995) や、Şentürk (1999) などが入手しやすく読みやすい。また詩の理解には、独特の比喩や言葉の深意についての理解が欠かせないが、その分野ではOnay (1990) やPala (1989) が依然として利用価値が高い。

オスマン詩の世界は、内容、様式、表現ともに、ペルシャ語詩にルーツをもつさまざまなルールに規定され、その自由度は著しく低い。このため、現実から乖離した、言葉遊びの芸術とみなされたこともあった。しかし、実際には、その不自由を逆に知的に楽しみ、人々の心情、感情、社会の現実をそこに反映させていることが、上記の研究などから明らかになっている。また、想像力を駆使して作り出された虚構であっても、それが人々の共通理解のうえに組み立てられていたことは間違いない。歴史研究が抽出しようとするのは、虚構のなかに偶然紛れ込んだ歴史的事実だけでなく、虚構全体を成りたたせている「共通理解」でもある。それは、当時の人々の世界観、社会観、死生観、恋愛観などにあたる。それを抽出するのは難しい作業ではあるが、高い可能性を秘めた世界であること、歴史研究の中身を豊かにしてくるものであることは言うまでもない。

さて、詩人と詩の研究の第一の手掛かりは、多くの場合、詩人自身により編集された詩の集成であるディーワーン (divan) に他ならない。ディーワーンは、多くの場合、「功なり名を遂げた」詩人自身が、生涯に書いた詩のなかから編纂する。このため、自分のディーワーンをもつことは、詩人たちの目標であった。詩のテキストの所在という点からすると、ディーワーンのほかには、まず詩人伝(テズケレ tezkere)が挙げられる。詩人伝は伝記集のうち、詩人を対象とするものである。詩人の人名順に伝記を記し、その代表作の一部を紹介する。詩人の代表作の多くは、ディーワーンから選ばれるが、口伝で伝わったものが採録されることもある。また、自由なテーマで書かれ、多くの場合、メスネヴィー形式をとる長編詩(語りの詩)は、独立した作品として扱われ、作者が詩人であってもディーワーンには収録されないことが多い。そのほか、碑文に刻まれた詩は、そのテキストが作者のディーワーンに採録されている場合もあるが、碑文としてのみ伝わるものも多い。これらの詩の実例とその日本語訳については、林(2012) を参照されたい。

※本項は、東長靖編『オスマン朝思想文化研究:思想家と著作』(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター,2012)所収の林佳世子「文学・歴史研究―オスマン詩を用いた社会史研究の可能性」の一部を編集したものである。

(林佳世子)

【参考文献】

  • Andrews, Walter G. 1976. An Introduction to Ottoman Poetry. Minneapolis: Bibliotheca Islamica.
  • Andrews, Walter G., and Mehmet Kalpaklı. 2005. The Age of Beloved: Love and the Beloved in Early-Modern Ottoman and European Culture and Society. Durham: Duke University Press.
  • Andrews, Walter G., Najaat Black and Mehmet Kalpaklı, eds. 1997. Ottoman Lyric Poetry: An Anthology. Texas: University of Texas.
  • Aynur, Hatice. 2005. Üniversitelerde Eski Türk Edebiyatı Çalışmaları: Tezler, Yayınlar, Haberler: Toplu Sayı 1990–2005, İstanbul: Boğaziçi Üniversitesi Fen-Edebiyat Fakültesi Türk Dili ve Edebiyatı Bölümü.
  • Bilkan, Ali Fuat. 2002. Osmanlı Şiiriʼne Modern Yaklaşımlar. İstanbul: L&M Yayıncılık.
  • Gibb, E. J. W. 1900-1909. A History of Ottoman Poetry, 6 vols. London: Luzac.
  • İnalcık, Halil. 2010. Has-Bağçede ʻAyş u Tarab: Nedimler Şairler Mutribler. İstanbul: Türkiye İş Bankası Kültür Yayınları.
  • Kartal, Ahmet. 2008. Şirazʼdan İstanbulʼa Şiir Rüzgârları: Türk-Fars Kültür Coğrafyası Üzerine Araştırmalar. İstanbul: Kriter Yayınları.
  • Levend, Agâh Sırrı. 1943. Divan Edebiyatı: Kelimeler ve Remizler, Mazmunlar ve Mefhumlar. İstanbul: İnkılap Kitabevi.
  • Onay, Ahmet Talât. 1990. Eski Türk Edebiyayında Mazmunlar ve İzahı, ed. Cemâl Kurnaz, Ankara: Türkiye Diyanet Vakfı.
  • Öztekin, Özge. 2006. Divanlardan Yansıyan Görüntüler: XVIII. Yüzyıl Divan Şiirinde Toplumsal Hayatın İzleri. Ankara: Ürün Yayınları.
  • Pala, İskender. 1989. Ansiklopedik Dîvân Şiiri Sözlüğü. Ankara: Kültür Bakanlığı.
  • –––. 1995. Divân Şiiri Antolojisi. Ankara: Akçağ Yayınları.
  • Serdaroğlu, Vildan. 2006. Sosyal Hayat Işığında Zati Divanı. İstanbul: Türkiye Diyanet Vakfı İslâm Araştırmaları Merkezi.
  • Şentürk, Ahmet Atillâ. 1999. Osmanlı Şiiri Antolojisi. İstanbul: Yapı Kredi Yayınları.
  • Zeʼevi, Dror. 2006. Producing Desire: Changing Sexual Discourse in the Ottoman Middle East 1500–1900. Berkeley and Los Angeles: University of California Press.
  • 林佳世子 2012. 「文学・歴史研究―オスマン詩を用いた社会史研究の可能性」東長靖編『オスマン朝思想文化研究:思想家と著作』京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科附属イスラーム地域研究センター,95-123.

(2013年3月作成)