雑誌mecmû‘a/ dergi (青年トルコ革命以前)

オスマン帝国において、アラビア文字表記のトルコ語(以下「オスマン語」とする)による雑誌の発行が始まったのは、19世紀半ばのことである。しかし、そもそも何をもって「雑誌」とするかという点が、同時代的にも研究上も明らかであるとはいいがたい。オスマン語では、“mecmû‘a”(集成)、“risâle”(冊子)、“mevkūte”(定期的に発行されたもの)などが、ひとまず「雑誌」を指し示す語として用いられた(現代トルコ語では、おおむね“dergi”を用いる)。しかし、これらの語、わけても“mecmû‘a”は「新聞」の紙名に付されることも少なくない。また、「雑誌」の形態をとりながらもみずからを「新聞」と規定する「雑誌」、さらには誌名に“gazete”の語を含む「雑誌」もある。したがって、少なくとも19世紀後半の出版物に関するかぎり、名称は必ずしも判別の基準にはならない。種々のカタログが「新聞」と「雑誌」を厳密に区別せず、「定期刊行物süreli yayınlar」の括りで作成されている背景には、こうした事情も大きいと考えられる。

オスマン史上初のオスマン語雑誌は、1849年創刊の『医学事報Vekāyi‘-i Tıbbiyye』とされる。「帝国医学校Mekteb-i Tıbbiyye-i Şâhâne」が発行した同誌は、しかし、みずからを「医学新聞 tıbb gazetesi」と位置づけており、そのフランス語版は“Gazette Médicale de Constantinople”と題された。1862年には、のちに公教育大臣を務める政治家ミュニフ・パシャらが運営する教育・啓蒙団体「オスマン学術協会Cem‘iyyet-i ‘İlmiyye-i ‘Osmâniyye」の機関誌として、『科学雑誌Mecmû‘a-i Fünûn』と題する総合学術誌が発刊された。同誌は、オスマン史上初の本格的なオスマン語雑誌とされる。

オスマン語新聞の場合と同じく、1860年代はオスマン語雑誌の叢生する時期にあたる。上述の『科学雑誌』に続いて1863年には、学術誌『鏡Mir’ât』が創刊された。わずか3号で終刊した同誌には、科学技術に関する図版のほか、ナームク・ケマルによるモンテスキュー『ローマ人盛衰原因論』のオスマン語訳も掲載された。以後、『陸軍通信Cerîde-i ‘Askeriyye』や『商事暦報Takvîm-i Ticâret』などの職業専門誌が続々と登場した。なかには、採算を度外視して精巧な図版を掲載しつづけたため、ひと月足らずで破綻した『郷土の鏡Âyîne-i Vatan』という雑誌もある。なお1869年には、ヨーロッパ諸国に亡命した新オスマン人の一人アリ・スアーヴィーが、パリで『科学‘Ulûm』なる百科全書的な雑誌を発行した。同誌はオスマン人が海外で発行した初のオスマン語雑誌である。

1870年代に入ると、雑誌数はますます増加した。なかでも注目すべきは、末期オスマン帝国を代表するジャーナリストのアフメト・ミドハトが1872年に創刊した『ダアルジュクDağarcık』である。それまで専門誌が中心であったオスマン出版界において、同誌は一般向けの教養雑誌を志向した点に大きな特徴がある。のみならず、創刊の辞でアフメト・ミドハトが述べているように、同誌は科学技術の新発明や世界史上の偉人などを紹介することで、「新聞gazete」でも「書物kitâb」でもない「ダアルジュク」(「知恵袋」の意)という一種の百科事典的読み物のジャンルを確立しようと試みた。結局、「ダアルジュク」の語はこうした意味では定着しなかったものの、同誌は以後のオスマン語教養雑誌の方向性を示すこととなった。

厳しい検閲体制をしき、政治的議論を禁圧したアブデュルハミト二世(在位1876-1909年)の治世にあって、新聞に比べて学術や文芸など非政治的なテーマに特化しやすい雑誌の発行は堅調であった。すでに70年代から『庭園Hadîka』や『灯火Sirâc』などの新聞発行に携わり、また『手帳Cüzdân』や『記者Muharrir』などの雑誌発行も手がけていたジャーナリストのエビュッズィヤー・テヴフィクは、1880年にその名も『エビュッズィヤー雑誌Mecmû‘a-i Ebü’z-ziyâ』と題する教養雑誌を創刊した。同年には、アルバニア人ジャーナリストのシェムセッティン・サーミーが『一週間Hafta』を発行した。同誌には、言語に基づく文化的ナショナリズムに関する論説なども掲載されている。1891年には、アフメト・イフサン(トクギョズ)が総合文芸誌『学富Servet-i Fünûn』を創刊した。厳しい言論統制下で進行する屈折した文化的成熟を体現したかの感もある同誌は、芸術至上主義的なオスマン版世紀末文学ともいうべき「新文学Edebiyyât-ı Cedîde」のフォーラムとなった。

オスマン時代のオスマン語雑誌に関する包括的な専著は現れていない。トルコ共和国時代を含めたオスマン語・現代トルコ語雑誌については、Bakırcıoğlu (1977)、İnsel (1984)、Varlık (1985) が簡便な見取り図を提供する。雑誌史料に特化したカタログも管見のかぎり見あたらず、新聞史料と同様、Duman (2000)、Milli Kütüphane Başkanlığı (1987)、HTU (2010) などにあたるほかない。なお近年、1877年から81年まで発行された『条約集成Mu‘âhedât Mecmû‘ası』のファクシミリ版(1)が刊行された。

個々の雑誌については、一部の著名なものを除き、研究が進んでいるとはいいがたい。『科学雑誌』については、Akın (1999) やBudak (2004) などミュニフ・パシャ関連の研究と併せて、一定の蓄積がある。『エビュッズィヤー雑誌』については、専著こそないものの、内容目録としてTüresay (2000) があり、また発行人のエビュッズィヤーに関する詳細な伝記的研究としてGür (1998) がある。これまで主として文学研究の対象となってきた『学富』については、(2)をはじめいくつかのアンソロジーがある。テヴフィク・フィクレトら同誌の発行にかかわった文人の伝記的研究は、枚挙にいとまがない。同誌を中心とする「新文学」についての最新の概説として、Parlatır (2006) がある。発行人のアフメト・イフサンは、共和国時代初期にラテン・アルファベット表記の自伝Tokgöz (1930-1931) を刊行した。鈴木 (1987) は、そのアフメト・イフサンに関する日本語で唯一の紹介である。なお、日本語による研究では、シェムセッティン・サーミーの『一週間』に関する石丸 (1989) を除き、19世紀に刊行されたオスマン語雑誌を活用したものは現れていない。

トルコの学界では近年、ジェンダー研究や教育史研究の観点から、オスマン時代に発行されたオスマン語の女性誌・児童誌に関する基礎的研究が進みつつある。1868年創刊の政論新聞『進歩Terakkî』の姉妹編として翌年に発刊された『婦人版進歩Terakkî-i Muhadderât』は、オスマン史上初のオスマン語女性誌である。1887年には初のオスマン人女性によるオスマン語女性誌『花園Şükûfezâr』が、また1895年には末期オスマン帝国を代表するオスマン語女性誌『婦人専用新聞Hanımlara Mahsûs Gazete』が創刊された。後者のアンソロジーとして(3)がある。Toska (1993) は、オスマン時代から共和国初期にかけて発行された38の女性誌について、その内容目録と書誌・所蔵情報をまとめたものである。より発展的な研究として、主に女性誌を使った Frierson (1996) はジェンダーと公共圏の問題を論じている。児童誌については、1869年創刊の初のオスマン語児童誌『分別Mümeyyiz』に関するNalcıoğlu (2006) がある。

雑誌史料は新聞史料に比べて収集・保存が容易であり、トルコ国内の図書館や研究施設はもとより、日本国内の東洋文庫や東京大学東洋文化研究所においても、原物をほぼ欠号なく確認できるものが多い。また、新聞史料と同様、雑誌史料についてもデジタル化とウェブ上での公開が進んでいる。今後は、書誌の整理や目録の作成といった基礎的作業もいっそう進み、末期オスマン帝国の教養層の学知や道徳のあり方、必要と見なされた教養や常識、生活の知恵やモードなど、生活史や知識社会学の観点から近代オスマン史研究を支える個別研究の出現が期待される。非トルコ語・非アラビア文字の雑誌についての研究が俟たれていることはいうまでもない。

(佐々木紳)

【史料】

  1. Muâhedât Mecmûası. 5 vols. Ankara: Türk Tarih Kurumu, 2008.
  2. Kutlu, Şemsettin. Servetifünun Dönemi Türk Edebiyatı Antolojisi. 2nd ed. İstanbul: Remzi Kitabevi, 1981 [1972].
  3. Çiçekler, Mustafa and Fatih Andı, eds. Yeni Harflerle Hanımlara Mahsus Gazete (1895-1908): Seçki. İstanbul: Kadın Eserleri Kütüphanesi ve Bilgi Merkezi Vakfı, 2009.

【参考文献】

  • Akın, Âdem. 1999. Münif Paşa ve Türk Kültür Tarihindeki Yeri. Ankara: Türk Tarih Kurumu.
  • Bakırcıoğlu, Ziya. 1977. “Dergi.” In Türk Dili ve Edebiyatı Ansiklopedisi 2:246-249. İstanbul: Dergâh Yayınları.
  • Budak, Ali. 2004. Batılılaşma Sürecinde Çok Yönlü Bir Osmanlı Aydını: Münif Paşa. İstanbul: Kitabevi.
  • Duman, Hasan. 2000. Başlangıcından Harf Devrimine Kadar Osmanlı-Türk Süreli Yayınlar ve Gazeteler Bibliyografyası ve Toplu Kataloğu, 1828-1928. 3 vols. Ankara: Enformasyon ve Dokümantasyon Hizmetleri Vakfı.
  • Frierson, Elizabeth Brown. 1996. “Unimagined Communitie: State, Press, and Gender in the Hanmidian Era.” PhD diss., Princeton University.
  • Gür, Âlim. 1998. Ebüzziya Tevfik: Hayatı; Dil, Edebiyat, Basın, Yayın ve Matbaacılığa Katkıları. Ankara: Kültür Bakanlığı.
  • HTU. See Kültür ve Turizm Bakanlığı Beyazıt Devlet Kütüphanesi and Tokyo Yabancı Diller Üniversitesi.
  • İnsel, Deniz, ed. 1984. Türkiye’de Dergiler-Ansiklopediler (1849-1984). İstanbul: Gelişim Yayınları.
  • Kültür ve Turizm Bakanlığı Beyazıt Devlet Kütüphanesi and Tokyo Yabancı Diller Üniversitesi. 2010. Beyazıt Devlet Kütüphanesi Hakkı Tarık Us Koleksiyonu Süreli Yayınlar Kataloğu. Tokyo: Tokyo Yabancı Diller Üniversitesi.
  • [Milli Kütüphane Başkanlığı]. 1987. Eski Harfli Türkçe Süreli Yayınlar Toplu Kataloğu. Ankara: Kültür ve Turizm Bakanlığı.
  • Parlatır, İsmail, et al, eds. 2006. Servet-i Fünûn Edebiyatı. Ankara: Akçağ Yayınları.
  • Nalcıoğlu, Belkıs Ulusoy. 2006. Mümeyyiz: İlk Çocuk Gazetesi (1869-1870). İstanbul: İstanbul Üniversitesi İletişim Fakültesi Yayınları.
  • Tokgöz, Ahmed İhsan. 1930-1931. Matbuat Hatıralarım. 2 vols. İstanbul: Ahmed İhsan Matbaası.
  • Toska, Zehra, et al. 1993. İstanbul Kütüphanelerindeki Eski Harfli Türkçe Kadın Dergileri Bibliyografyası (1869-1927). İstanbul: Metis Yayınları.
  • Türesay, Özgür. 2000. “Ebüzziya Tevfik ve Mecmua-i Ebüzziya (1880-1912).” Müteferrika 18: 87-140.
  • Varlık, Bülent. 1985. “Tanzimat ve Meşrutiyet Dergileri.” In Tanzimat’tan Cumhuriyet’e Türkiye Ansiklopedisi, 1:112-132. İstanbul: İletişim Yayınları.
  • 石丸由美 1989.「シェムセッティン・サーミーと『ハフタ』:文化的トルコ・ナショナリズムの源流」『オリエント』32(2): 14-29.
  • 鈴木董 1987.「世紀末オスマン文化の仕掛人:アフメット・イフサン・ベイのこと」『トルコ文化研究』2:21-25.

(2012年3月作成、2012年8月更新)