カーヌーンナーメ(法令集)Kanunname

わが国で法令集あるいは法令集成と訳されるカーヌーンナーメは、その名が示す通り、オスマン君主によって発せられた法令が集められたものである。様々な法令を集めたものが一般的にカーヌーンナーメと呼ばれているが、その内実は、少なくとも理論上はオスマン朝の支配領域すべてに適用される、いわゆる「一般法令集 genel kanunname/umumi kanunname」から、主として徴税についての諸規則を県sancakごとに定めた「県法令集 sancak kanunnamesi」に加えて、国家組織の秩序や宮廷儀礼あるいは刑罰を記したもの、さらには特定の集団や事項に関連する規則のみを集めた各種の法令集まで様々である。最後に挙げたものとしては、たとえばBarkan (1942) が詳しく検討したイフティサーブ(商業規則)についての法令集などがあり、この種のカーヌーンナーメは、時として禁令 yasak/yasakname あるいは規則集成 nizamname と呼ばれることもある。

シャリーア(イスラーム法)に対して、カーヌーンは現世の権力者たる君主によって出された法令であるため「世俗法」と訳されることもあるが、実態としては、むしろシャリーアによって規定することが困難な多種多様な事柄に一定の秩序を与えるために、各地域の実情を踏まえて定められた慣習法 örf/adet であると考える方が正確であろう。オスマン朝におけるシャリーアとカーヌーンとの関係をはじめ、カーヌーンナーメについての先行研究としては、Barkan (1942)、Heyd (1973) および İnalcık (2000) を参照されたい。いずれにせよ、カーヌーンや、その複数形のカヴァーニーンというオスマン語それ自体が、ギリシア語のカノーン(基準、規範)に由来していることからもあきらかなように、それぞれのカーヌーンナーメは各地域あるいは各時代の現実に柔軟に対応したものとなっている。

現在、オスマン朝の最も古いカーヌーンナーメとしてはメフメト2世期に属する数点が確認されており、その内容には15世紀前半あるいは中頃の状況が色濃く反映されている (1) (2) (4) (10)。これら一連のメフメト2世のカーヌーンナーメが、この後にオスマン朝の歴代君主によって発布される諸法令集の基礎となったと考えられている。

メフメト2世の後を継いだバヤズィト2世期になると、はじめて県法令集、すなわち地方の法令集の存在が確認される。県法令集としての最古のものは、ヒジュラ暦892年(西暦1487年)の日付をもつヒュダーヴェンディギャール(ブルサ)県の徴税調査台帳に含まれている(3)。このように、県法令集は、徴税調査の結果を記録した徴税調査台帳 tahrir defteri の冒頭に記載されているところにおおきな特徴があり、その内容は概ね当該地域の徴税に関連する規則が集められたものとなっている。

各地域での徴税に際しては、その地域の特性や従来からの伝統に一定の配慮がなされたため、新たにオスマン朝の支配下に入った地域でも、それ以前の慣習がそのまま温存されることが多かった。その結果、たとえば東アナトリアやアゼルバイジャンおよびイラン西部の支配地域における県法令集にはアクコユンルのウズン・ハサン(位1453-78年)による法令の影響が見られる他、東南アナトリアではドゥルカドゥル君侯国のアラーウッダウラ(位1480-1515年)の、エジプトとシリアではマムルーク朝のカーイト・バーイ(位1468-96年)の法令の内容が、当該地域におけるオスマン朝の県法令集に取り入れられた。同様にオスマン朝のヨーロッパ領であるルメリやハンガリーにおいては、オスマン支配以前の、すなわちビザンツ帝国やハンガリー王国などの慣習を受け継いだ県法令集が作成された (1) (7) (13)。

一方、オスマン朝領内の諸規則を集めた一般法令集は、メフメト2世以降もバヤズィト2世 (1) やセリム1世 (1) (10) の時代など歴代君主によって発布され、「立法者Kanuni」の異名をもつスレイマン1世による法令集によってひとつの完成を見た (1)。これ以降の君主によるカーヌーンナーメは、基本的にはスレイマン1世期のものを基礎としている。

17世紀になると、特定の個人の名を冠したカーヌーンナーメが著されるようになる。たとえば、テヴキイー・アブドゥルラフマン・パシャ (5)、ヘザルフェン・ヒュセイン・エフェンディ (6)、アズィズ・エフェンディ (8)、エイユビー・エフェンディ (9) あるいはソフィヤル・アリ・チャヴシュ (12) のものが著名であり、17世紀オスマン朝の様々な分野における実情、とりわけ宮廷儀礼や位階の秩序、俸給の多寡といった儀典の状況を知るのに非常に有益な史料となっている。これらの著作は、カーヌーンナーメの名を有してはいるものの、その内容は一般法令集や県法令集よりも、いわゆる儀典台帳 teşrifat defteri と呼ばれる史料に類似するものである。

さらに近代に入ると、オスマン朝が西洋化しようとする流れを受けて、カーヌーンナーメにも西洋における「制定法lex/statute」という言葉がもつ意味あいが付与されるようになる。すでにセリム3世期にはそうした傾向が見られるとされるが、タンズィマート以降なると1840年に制定されたオスマン朝における最初の刑法 Ceza Kanunnamesi や1850年の商法 Ticaret Kanunnamesi、あるいは1858年の土地法 Arazi Kanunnamesi のように、カーヌーンナーメは個別の法律を意味するようになった。

以上のように、カーヌーンナーメは単一の名称によって認識されているものの、それぞれの史料の記述内容は非常に多様である。一般法令集からは、上はオスマン朝の国家組織のありかたから、下は街の食堂における皿の洗い方に至るまで、オスマン朝において定められていた様々な秩序を読み取ることができる。一方で、すでに述べたように徴税調査台帳の冒頭に記された県法令集を用いれば、当該の県における徴税のありように加えて、オスマン朝に征服される以前から継続されてきた慣習を知ることも可能である。また17世紀以降に増加する個人の名が冠されたカーヌーンナーメは、同時代のオスマン朝の様々な実態、とりわけ宮廷儀礼や位階秩序について詳細に検討するのに有用であろう。

カーヌーンナーメについての事典項目としては、İnalcık (1978) および İnalcık (2001) がある。カーヌーンナーメそのものについての分析は、各種のカーヌーンナーメを校訂あるいは出版したものの冒頭に置かれていることが多い。9巻本でメフメト2世期からオスマン2世期までの多数のカーヌーンナーメが収録されている (1) は有用であるが、転写ミスなど問題も多い。また、各種のカーヌーンナーメやその写本は多数現存しており、所蔵機関も世界各地に散在している。そのため、それらの所蔵情報についても、校訂や転写が出版されているものについては、まずはそれぞれの文献を参照されたい。最後にカーヌーンナーメを用いた研究として、日本語で読めるものとして多田 (1993; 1997) および澤井 (2010) を挙げておく。

(澤井一彰)

【史料】

  1. Akgündüz, Ahmet. Osmanlı Kanunnameleri ve Hukuki Tahlilleri. 9 vols. İstanbul: FEY Vakfı, 1990-96.
  2. Anheggar, Robert and Halil İnalcık. Kānūnnāme-i Sulṭānī ber mūceb-i ‘Örf-i ‘Osmānī: II. Mehmed ve II. Bayezid devirlerine ait Yasaḳnāme ve Ḳānūnnāmeler. Ankara: Türk Tarih Kurumu, 1956.
  3. Barkan, Ömer Lütfi. XV ve XVIinci Asırlarda Osmanlı İmparatorluğunda Ziraî Ekonominin Hukukî ve Malî Esasları, vol.1: Kanunlar. İstanbul: Bürhaneddin Matbaası, 1943.
  4. Bildeceanu, Nicoara. Code de lois coutumières de Meḥmed II: Kitāb-i qavānīn-i ‘örfiyee-i ‘Osmānī. Wiesbaden: O. Harrassowitz, 1967.
  5. Bilge, Sadık Müfit. Osmanlı Devleti’nde Teşrifat ve Törenler: Tevki‘i Aburrahman Paşa Kanun-namesi, İstanbul: Kitabevi, 2011.
  6. İlgüler, Sevim. Hezarfen Hüseyin Efendi, Telhisü’l-beyan fi Kavanin-i Al-i Osman, Ankara: Türk Tarih Kurumu, 1999.
  7. Đurđev, Branislav. Kanuni i kanun-name za Bosanski, Hercegovački, Zvornički, Kliški, Crnogorski i Skadarski Sandžak. Sarajevo: Orijentalni institut u Sarajevu, 1957.
  8. Murphey, Rhoads. Kanûn-nâme-i sultânî li ‘Azîz efendı: On Yedinci Yüzyılda bir Osmanlı Devletadamının Islahat Teklifleri. Cambridge, Mass.: Harvard University, 1985.
  9. Özcan, Abdülkadir. Eyyubi Efendi Kanunnamesi. İstanbul: Eren Yayıncılık, 1994.
  10. –––. Kanunname-i Al-i Osman, İstanbul: Kitabevi, 2003.
  11. Pulaha, Selami and Yaşar Yücel. Le code (Kānūnnāme) de Selim 1er (1512-1520) et certaines autre lois de la deuxieme moitie du XVIe siecle = I. Selim Kānūnnāmesi (1512-1520) ve XVI Yüzyılın İkinci Yarısının Kimi Kanunları. Ankara: Türk Tarih Kurumu, 1988.
  12. Sertoğlu, Midhat. Sofyalı Ali Çavuş Kanunnâmesi: Osmanlı İmparatorluğu’nda Toprak Tasarruf Sistemi’nin Hukukî ve Mâlî Müeyyede ve Mükellefiyetleri. İstanbul: Marmara Üniversitesi Fen-Edebiyat Fakültesi, 1992.
  13. Tüncel, Hadiye. Kanuni Sultan Süleyman Zamanına aid Kanunnâme. Ankara: T. C. Tarım Orman ve Köyişleri Bakanlığı, 1988.

【参考文献】

  • Barkan, Ömer Lütfi. 1942. “Bazı Büyük Şehirlerde Eşya ve Yiyecek Fiyatlarının Tesbit ve Teftişi Hususlarını Tanzim Eden Kanunları: Kanunnâme-i İhtisab-ı İstanbul-el-Mahrûsa.” Tarih Vesikaları 1(5).
  • Heyd, Uriel. 1973. Studies in old Ottoman criminal law. Oxford: Clarendon Press.
  • İnalcık, Halil. 1978. “Kanunname.” In Encylopaedia of Islam, New Edition, 4:562-566. Leiden: Brill.
  • –––. 2000. Osmanlı’da Devlet, Hukuk, Adalet. İstanbul: Eren Yayıncılık.
  • –––. 2001. “Kanunname.” In Türkiye Diyanet Vakfı İslam Ansiklopedisi, 24:333-337. İstanbul: Diyanet Vakfı.
  • 澤井一彰 2010.「15、16世紀オスマン朝の市場メカニズム―法令集におけるイフティサーブの分析を中心に―」山田雅彦編『市場と流通の社会史I伝統ヨーロッパとその周辺の市場の歴史』清文堂, 123-147.
  • 多田守 1993.「Bayazid 2世治下における「Kitab-i Kavanin-i Orfiyye-i Osmani」の編纂―編纂の背景,意図及び本書の歴史的意義に関する再検討」『西南アジア研究』39:23-49.
  • –––. 1997.「エブッスウド以前におけるオスマン朝の土地政策―カーヌーン=ナーメの記述を通して―」『立命館文学』550:45-73.

(2012年3月作成、2012年8月更新)