勅旨(irâde-i seniyye)

勅旨(irâde-i seniyye)は、字義どおりには「君主の意思、命令」を意味するが、オスマン史研究においては、第30代君主マフムト2世(在位1808-39)の時代の最末期に登場し、王朝の崩壊まで継続して作成された文書の様式である。本項目では勅旨そのものに加えて、首相府オスマン文書館における勅旨分類(İrâde Tasnîfi)を紹介する。

文書の様式としての勅旨は、君主の首席祐筆(serkâtib)が、君主の意向を、君主に代わって、大宰相に宛てて記したものである。その大部分は、大宰相の上奏文(telhîs, ‘arz tezkiresi)に対する返答であり、上奏文と同じ料紙の下部に斜め書きされたものであるが、少数ながら、君主の側から自発的に発せられたものも存在する。これを「君主の発議による勅旨(re’sen irâde-i seniyye)」といい、白紙に横書きされる。なお、君主自らが筆を執って、大宰相に意向を伝える宸筆(hatt-ı hümâyûn)という様式の場合は、当然ながら君主の方が大宰相よりも上位のため、大宰相の上奏文の上部に宸筆が記されるが、大宰相と祐筆では、後者の方が下位のため、勅旨は、上奏文の下部に記されることとなる。

勅旨の内容は、ほとんど場合、大宰相の上奏文に記された内容を実行するよう命じたものであり、表現上の多少のヴァリエーションはあるが、大宰相への呼びかけ(lakab)、本文、日付によって構成される(ただし、最初期には日付がない)。勅旨の中核をなす本文自体も、かなり共通したフォーマットをもち、まず大宰相の上奏文を君主が閲覧したことが記され、次に当該案件が具体的に命じられ、最後に「本件に関するご命令は、命令の所有者たる(大宰相)閣下のものです」という定型句がくるというのが一般的である。そのため、命令の具体的内容は、大宰相の上奏文に書かれており、研究に実際に利用されているのはほとんど上奏文である。また、首相府オスマン文書館の勅旨分類においては、上奏の際に添付された文書も同一の請求番号のホルダー(gömlek)の中に綴じてあることが多い。添付文書は、最高評議会(Meclis-i Vâlâ-yı Ahkâm-ı ‘Adliyye)の議事録(mazbata)、大宰相府と各省のやりとり、地方官の報告書、会計や予算の表など様々であり、これらの史料から、より具体的な情報を読み取ることが可能である。とくに初期の勅旨には多数の添付文書があることが多く、その数はときに50点以上にも及ぶ。

このような内容と特徴をもつ勅旨は、以下のように区分されて、首相府オスマン文書館に収蔵されている。すなわち、(a)ヒジュラ暦1255年から同1309年までの勅旨、(b)同1310年から1334年までの勅旨、(c)テーマ分類の勅旨(Dosya Usûlü İrâdeler, DUİT)、(d)自治州に関する勅旨(Eyâlât-ı Mümtâze İrâdeleri, İ.MTZ)、(e)重要事項に関する勅旨(Mesâ’il-i Mühimme İrâdeleri, İ.MSM)である。

このうち(a)(b)(d)は、さらにいくつかの下位区分に分けられている。たとえば (a) は、主に、内務(Dâhiliyye, İ.DH)、外務(Hâriciyye, İ.HR)、最高評議会(Meclis-i Vâlâ, İ.MVL)、内閣(Meclis-i Mahsûs, İ.MMS)に区分されているが、その基準は、最高評議会あるいは内閣における審議の有無と、案件の内容である。すなわち、原則的に、最高評議会において審議された案件は最高評議会分類に、内閣において審議された案件は内閣分類にそれぞれ分類され、実際、最高評議会分類には、多くの場合、同審議会の議事録が添付されている。ただし、最高評議会分類や内閣分類に収蔵されているにもかかわらず、議事録が添付されていない勅旨も少なからず存在する。

他方、内務分類と外務分類は、最高評議会や内閣における審議を経ずに、大宰相か主に上奏され裁可された勅旨である。ただし、分類の基準とされた審議会は、あくまで最高評議会と内閣だけであり、他の審議会、たとえば軍事審議会(Dâr-ı Şûrâ-yı ‘Askerî)では審議されたが、最高評議会や内閣では審議されなかった案件は、内務分類ないしは外務分類に収められることになる。なお、内務分類の51000番から59999番までは、そもそも欠番である。

また、内務分類と外務分類は、単純にオスマン朝の領内と領外という訳ではなく、たとえば国内の非ムスリムに関する勅旨は、外務分類にも多数収蔵されている。やや特殊な例ではあるが、オスマン政府によってパリに設立され、後に非ムスリムの学生も受け入れたオスマン学校(Mekteb-i ‘Osmânî, 1857-64)という教育機関に関する勅旨は、この学校の特殊な立地と性格のために、内務にも外務にも分類されている。研究を進める際には、内務や外務や最高評議会といった下位区分を絶対視することなく、対象とする時期のカタログを網羅的に博捜することが望ましい。

首相府オスマン文書館の閲覧室に配置されている勅旨分類のカタログは、2006年1月以降、順次新しいものに取り替えられた。旧カタログでは、たとえば上記の(a)の勅旨は、ヒジュラ暦の一年ごとに製本されていたが、新カタログでは、内務や外務といった下位区分ごとに製本されているため、下位区分ごとに検索する際には便利であるが、上述のように、対象とする時期の勅旨分類のカタログをすべて閲覧しようとする際には、かえって不便かもしれない。また周知のように、現在同文書館は、所蔵史料のデジタル画像化を急速に進めているため、勅旨分類も、実物の閲覧は難しくなりつつある。

「君主の命令」である勅旨と、それをもたらした大宰相の上奏文、そしてそれに添付されている各種の審議会の議事録やその他の文書は、刊行史料からは伺うことのできない貴重な情報を有しているため、勅旨分類は、タンズィマート期以降を対象とするオスマン史研究において極めて重要な史料群である。そのため、勅旨分類を用いた研究は枚挙に暇がないが、ここではとりあえず、日本語による研究として、小松(2002)、佐原 (2003)、秋葉 (2011)、吉田 (2010)、上野 (2009)、長谷部 (2011) の各研究を挙げておく。

勅旨自体に関する研究としては、とくにKütükoğlu (1998) とAkyıldız (1995) を参照されたい。前者は、オスマン朝の古文書学に関する体系的な研究書のなかで、勅旨を具体例に則して解説したもので、現在のところ最も信用し得る研究である。後者は、大宰相の上奏文と勅旨が記された料紙の裏面に見られる記号を検討することによって、勅旨が発せられるまでのプロセスに比べて不明な点が多かった、勅旨渙発後の文書の流れを考察したものである。他方、首相府オスマン文書館の手引書 (BOA 1995; 2010) は、手引書であるが故に、とくに分類について詳しい。勅旨および添付の諸文書を用いて研究を進める場合は、このような研究や手引書から情報を得つつ、勅旨分類のカタログを、下位区分にかかわらず網羅的に精査し、そのうえで自身のテーマに関する勅旨と添付文書を閲読する必要があるだろう。なお、勅旨分類の史料ばかりを集めた史料集として、「重要事項」勅旨のうち、Kürdistanという下位分類にある文書を網羅的に集めて刊行した(1)がある(おもに1840年代のベディルハーンの反乱に関連する)。

(長谷部圭彦)

【史料】

  • Soylu, Kerem. Mesail-i Mühimme-i Kürdistan (Kürdistan’ın Önemli Meseleleri). İstanbul: Diyarbakır Kürt Enstitüsü Yayınları, 2010.

【参考文献】

  • Akyıldız, Ali. 1995. “İradelerin Üzerinde Bulunan Bazı Rumuzlar ve Diplomatik Hususiyetleri (1840-1856).” In Osmanlı-Türk Diplomatiği Semineri 30-31 Mayıs 1994 Bildiriler, 43-66. İstanbul: İstanbul Üniversitesi Edebiyat Fakültesi.
  • BOA. See T. C. Başbakanlık Devlet Arşivleri Genel Müdürlüğü.
  • Kütükoğlu, Mübahat S. 1998. Osmanlı Belgelerinin Dili (Diplomatik). 2nd ed. İstanbul: Kubbealtı.
  • –––. 2000. “İrâde-i Seniyye.” In Türkiye Diyanet Vakfı İslâm Ansiklopedisi, 22:391-392. İstanbul: Türkiye Diyanet Vakfı.
  • T. C. Başbakanlık Devlet Arşivleri Genel Müdürlüğü. 1995. Başbakanlık Osmanlı Arşivi Katalogları Rehberi. Ankara: T. C. Başbakanlık Devlet Arşivleri Genel Müdürlüğü.
  • –––. 2010. Başbakanlık Osmanlı Arşivi Rehberi. Ankara: T. C. Başbakanlık Devlet Arşivleri Genel Müdürlüğü.
  • 秋葉淳 2011.「タンズィマート初期改革の修正―郡行政をめぐる政策決定過程(1841-42年)」『東洋文化』91:219-241.
  • 上野雅由樹 2009. 「タンズィマート期アルメニア共同体運営組織の展開-ミッレト憲法成立過程の考察から-」『東洋学報』91(2):1-26.
  • 小松香織 2002. 『オスマン帝国の海運と海軍』山川出版社。
  • 佐原徹哉 2003. 『近代バルカン都市社会史-多元主義空間における宗教とエスニシティ-』刀水書房。
  • 長谷部圭彦 2011. 「タンズィマート初期における対キリスト教徒教育管理構想」『東洋文化』91:243-261.

(2012年3月作成、2012年8月更新)