地理書 (Coğrafya Literatürü)

1.オスマン朝における地理書の発展

本項目はオスマン朝で著された史料のうち地理書を取り扱うが、いかなる種類の作品を地理書に含めるかは難しい。イスラーム文化圏における厳密な意味での「地理学 Coğrafya」は、プトレマイオスに代表されるギリシャ地理学の伝統をくみ、広範囲の地誌を体系的に取り扱うものである。しかし広い意味での地理的情報を取り扱う史料はそれだけではない。オスマン史における代表的な地理書研究である İhsanoğlu (2000) では、地図(まとまった文章を含まない場合や、一枚のみのこともある)、旅行記(外国への大使が記した報告書も含まれる)、遠征記(遠征の行程を細かに記しているために地理的要素をもつことがある)も地理書として取り扱っている。本稿ではとりあえず İhsanoğlu (2000) に従い、地理に関する情報を含む史料全般を、主として前近代を中心として概観することにしたい。

オスマン朝において著された地理関係作品の総数は、İhsanoğlu (2000) によれば、実に727点に及ぶ。その多くが近代に著されたものであるが、オスマン朝において地理書が大きく発展したことが窺えよう。オスマン朝における地理書の歴史は、1362年頃に著されたアリー・イブン・アブドゥッラフマン『被造物の驚異 ‘Acaibü’l-mahlukat』に始まる(未刊行)。本作品は先行するイスラーム世界の地理書を翻案したものである。これ以降に著される15世紀までの地理書も、基本的には先行する地理書を踏襲したものであった。また、軍事上の必要から地図が作成されることもあった。

16世紀になると、さまざまな種類の地理書が書かれるようになる。代表的な作品を挙げると、まず1520年代に海軍提督ピーリ・レイスによって、地中海を中心とした港湾や海岸線を地図と共に記した航海用の実用書『海洋の書Kitab-ı Bahriye』(8) が著された。マトラクチュ・ナスーフはスレイマン一世のイラク遠征(1533-1536年)の行程を事細かに記し、アナトリアからイラクにかけての貴重な地理情報を含む『両イラク駅亭記 Beyan-ı Menazil-i Sefer-i Irakeyn-i Sultan Süleyman Han』(7) を著した。本作品には各都市の状況を描いたミニアチュールも収められている。ヨーロッパの情報を利用し、アメリカ大陸に関して説明したメフメト・アル・スウーディー著『西インドの驚異 Tarih-i Hind-i Garbî』(4)(1583年)も、特異な性格を持つ地理書として知られている。また1596から1597年にかけてアーシュク・メフメトが、オスマン朝以前に書かれた地理学の書物をまとめた大部の書である『諸情報の諸気候帯 Manazir al-‘Avalim』(1)を著した。本作は独自情報には乏しいものの、古典期オスマン地理学の集大成というべき作品である。

17世紀半ばには、オスマン朝における地理書の転機となるふたつの書物が著された。キャーティプ・チェレビ『世界の鑑Cihan-nüma』(3)(1648年頃)と、エヴリヤ・チェレビ『旅行記 Seyahat-name』(2)(1630年から1682にかけて執筆)である。オスマン朝を代表する文人であるキャーティプ・チェレビは、過去に著された地理書の情報を総合する一方で、ヨーロッパの地理書を利用し、日本をふくむ体系的な地理書を著した。本書は残念ながら未完に終わり、ヨーロッパ以西の部分は書かれずに終わったが、のちのオスマン人士によく読まれた。18世紀にはイブラヒム・ミュテフェッリカが増補して刊行したほか、いくつかの補遺も著されている。エヴリヤ・チェレビは政治家メレク・アフメト・パシャに仕え、オスマン朝領域内外に関する大部の見聞記を書き記した。彼の著作はオスマン朝時代には顧みられることが少なかったが、近代に入ると研究者の関心を引き、現在ではオスマン朝社会史に関する一級史料として認識されている。

17世紀末以降はヨーロッパに対する関心の高まりを受け、ヨーロッパの書物を利用した地理書が多く著されるようになる。18世紀には、主としてヨーロッパへ赴いた大使が記した『使節の書』が著されるようになったのも重要である。18世紀後半からは軍事技術学校において地図作成術が教授されるようになり、19世紀にはいると近代学校教育で地理学が授業科目となったことから、古典的な地理学から完全に脱却した、近代的な地理学に基づいた教科書が多数書かれた。

2.地理書を利用した研究

それでは、オスマン朝の地理書をめぐる研究状況はどのようになっているのだろうか。オスマン朝以外のイスラーム史では地理書研究は比較的盛んであり、本邦においても多くの優れた研究が著されている。対してオスマン朝史研究においては、本邦では新谷 (1992ほか) による一連の『海洋の書』研究以外に目立った研究はない。国際的にも、『海洋の書』(Afet İnan 1954など) 、エヴリヤ・チェレビ『旅行記』(Dankoff 1991; 2004など)、『西インドの驚異』(Goodrich 1990 は英訳を含む) といった有名な著作に関しては少なくない数の研究があるが、全体的に研究が進んでいるとは言えない状況であった。しかし2000年に İhsanoğluが編纂した『オスマン地理書の歴史』は、オスマン朝で著された地理書に関する情報を写本の所在も含めて網羅的に収集したものであり、オスマン地理書研究に大きな進展をもたらした。ただし本書も、地理的情報を取りあげている史料をもれなく含んでいるわけではない点に注意が必要である。たとえば1578年頃にメフメト・ザイームによって著された世界史『集史 Cami’t-Tevarih』(5)や、16世紀末のムスタファ・アーリーによる世界史『諸情報の精髄 Künhü’l-Ahbâr』(6)は地誌的情報も含んでいるが、İhsanoğlu (2000) では取り扱われていない。ごく最近になって、「オスマン大航海時代」を論ずる Casale (2010) が、その中で16世紀前半にオスマン地理学が帝国の地理的拡大とともに飛躍的発展を遂げたことを跡づけ、地理書研究についても新しい地平を開いた。

史料の刊行状況は、近年のトルコ共和国における史料刊行が盛んなこともあり改善している。たとえば先にもふれたアーシュク・メフメト『諸気候帯の諸駅亭』が、トルコ歴史協会より2007年に刊行されている。またキャーティプ・チェレビ『世界の鑑』も、長らく刊本としてはオスマン朝時代のミュテフェッリカ版のみであったが、2008年に写本のファクシミリと現代語訳が刊行されている(ただし豪華本で高価かつ部数が少ない。汎用的な版の出版が求められている)。本作品を含むキャーティブ・チェレビの著作についての論考としては Gökyay (1985)、本作品を用いた最新の研究としてはEmily (2010)に小笠原 (2012)がある。

近代において著された地理書の研究は進んでおらず、今後の課題となっている。オスマン帝国の地理書の点数は、19世紀以降のものが579点とかなりの割合を占めている。近代において出版点数が増加するのは当然の傾向ではあるが、近代的地理書のさらなる研究が必要なことは間違いあるまい。数少ない近代における地理書研究としては、タンズィマート期の地理関係の史料についての比較的詳細な概論である Akyol (1940)、地図について一章を割いた Fortna (2003) が挙げられる。

(小笠原弘幸)

【史料】

  1. Aşık Mehmed. Menazırü’l-Avalim. 3 vols. Edited by Mahmut Ak. Ankara: Türk Tarih Kurumu, 2007.
  2. Evliya Çelebi. Evliya Çelebi Seyahatnamesi. 10 vols. Istanbul: Yapı Kredi Yayınları, 1996-2007.
  3. Katib Çelebi. Cihannüma. İstanbul, 1145; Katib Çelebi. Cihannüma: 360 Yıllık Bır Öykü. Edited by Bülent Özükan. İstanbul: Boyut Yayın Grubu, 2008.
  4. Muhammed b. Emir el-Hasan Sudi. Tarih-i Hind-i Garbî veya Hadis-i Nev. Edited by Süheyla Artemel. Ankara: Kültür ve Turizm Bakanlığı, 1987.
  5. Mehmed Za‘im. Câmi‘u’t-Tevarih. MS. The Library of Topkapı Palece Musium, Revan 1382.
  6. Mustafa ‘Alî. Künhü’l-Ahbar. 5 vols. Istanbul: Takvimhane-i Âmire, 1277.
  7. Nasuh b. Abdullah Matrakçı Nasuh. Beyan-ı Menazil-i sefer-i Irakeyn-i Sultan Süleyman Han. Ed. Hüseyin G. Yurdaydın. Ankara: Türk Tarih Kurumu, 1976.
  8. Piri Reis. Kitab-ı bahriye. Istanbul: Türk Tarih Kurumu, 1935.

【参考文献】

  • Afet İnan. 1954. Piri Reisin Amerika Haritası (1513). 2nd ed. Ankara: Türk Tarih Kurumu.
  • Akyol, İ. Hakkı. 1940. “Tanzimat Devrinde Bizde Coğrafya ve Jeoloji.” In Tanzimat I: Yüzüncü Yıldönümü Münasebetiyle, 511-571. Istanbul: Maarif Matbaası.
  • Aygün, A. 1933. “Topkapı Sarayı Müzesi’ndeki Coğrafî Eserler ve Haritalar.” Hari-tacılar Mecmuası. 4 (13): 108-113.
  • Casale, Giancarlo. 2010. The Ottoman Age of Exploration. New York: Oxford University Press.
  • Emily, Zoss. 2010. “An Ottoman View of the World: Cihannüma and its Cartographic Contexts.” In The Islamic Manuscript Tradition, ed. Christiane Gruber, 194-219. Bloomington: Indiana University Press.
  • Fortna, Benjamin C. 2003. Imperial Classroom: Islam, the State and Education in the Late Ottoman Empire. New York: Oxford University Press.
  • İhsanoğlu, Ekmeleddin. 2000. Osmanlı Coğrafya Literatürü Tarihi. 2 vols. Istanbul: IRCICA.
  • Unat, Faik Reşit. 1964. Osmanlı Sefirleri ve Sefaretnameleri. Ankara: Türk Tarih Kurumu.
  • Dankoff, Robert. 1991. Evliya Çelebi Lügatı: Seyahatnamedeki Yabancı Kelimeler, Mahalli İfadeler. Cambridge, Mass.: Harvard University.
  • –––. 2004. An Ottoman Mentality: the World of Evliya Çelebi. Leiden: E. J. Brill.
  • Gökyay, Orhan Saik. 1986. Kâtib Çelebi. Ankara: Kültür ve Turizm Bakanlığı.
  • Taeschner, Franz. 1928. “Osmanlılarda Coğrafya.” Türkiyat Mecümuası 2:271-314.
  • Trak, Selçuk. 1941. Türkiye Hakkında Yazılan Coğrafya Eserleri Genel Bibliyografyası. Ankara: Ankara Basımevi.
  • 小笠原弘幸2012.「オスマン朝におけるヨーロッパ認識の伝統と革新-一七世紀中葉以前の北西ユーラシア観を中心に-」小澤実編『北西ユーラシア歴史空間の再構築』北海道大学出版会.
  • 新谷英治1992.「『キターブ・バフリエ』の全体像とオスマン朝の地中海世界」『西南アジア研究』37:1-18.
  • 三橋冨治男1968「エウレヤ・チェレビィに関する断章」『オリエント』11(3-4): 91-103.

(2012年3月作成、2012年8月更新)

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