人口調査台帳(Nüfus Defteri)
本項では、主として1830年以降、不定期に継続して行われた人口調査によって作成された台帳史料を扱う。
1830年下半期から1831年上半期にかけて実施された人口調査は、徴税対象者のみではなく、人口(ただし、男子のみ)そのものの調査を目的としたオスマン史上最初の試みであった。この調査は徴兵可能な人口の把握を第一の目的として行われたもので(非ムスリムについては課税対象の把握)、バルカンとアナトリアを中心に、1歳以上のムスリムおよび非ムスリムの男性を対象として実施された。人口調査はその後継続して更新され、少なくとも1845年まで同種の台帳が作成された。
この調査については、Enver Ziya Karal によって刊行された、調査結果全体を集計した台帳(イスタンブル大学希少書図書館所蔵)(1) がよく知られているが、各地の詳細な記録簿は、従来、首相府オスマン文書館のBâb-ı Defterî Cerîde Odası Defterleri (D.CRD.d) や、Kâmil Kepeci Tasnifi Defterleri (KK.d) 、あるいは他の様々な機関や図書館に混在して所蔵されているもののみが知られていた(シャリーア法廷台帳として分類されているものもかなりあるらしい)。しかし、近年Nüfus Defterleri (NFS.d) というフォンドが公開されたことによって、1830/31年(~1845年)人口調査の全貌が明らかになりつつある。なお、ブルガリア国立図書館にも1845年のものを中心に人口調査台帳が所蔵されている。
人口調査の成果として、もっとも基本となる、街区や村落ごとに住民個人個人の情報が記録されている基本台帳のほか、各街区・村落の集計をサンジャク(県)単位でまとめた集計台帳 (icmal defteri)、人口の異動のみを記録した定期人口調査台帳(nüfus yoklama defteri あるいは vukuat defteri)などが作成された。原則としてムスリムと非ムスリムは別々の台帳に記録された。基本台帳には、住民の名前、背丈(高・中・低)、髭(有無、色など)、年齢、家族関係(奴隷を含む同世帯構成員について)、職業(官職を除けば書かれていないことも多い)、非ムスリムの場合はジズヤ支払い額の等級などが記載されているほか、調査時に不在の者についても在住地や任務(あれば)、また台帳作成後の異動なども注記されている。タンズィマート期に作成された台帳には、世帯番号も付けられているが、これは資産・収入台帳と連動しているものと思われる。集計台帳においては、一般に、ムスリム住民は「未成年sabî」「壮年tüvânâ(徴兵に適した年齢)」「高齢müsinn」に分類されて集計されている。異動の調査は、原則として6ヶ月ごとに行われ、住民の死去、出生、転出入が記録された。定期人口調査台帳は1845年以降も(おそらく1881年まで)作成され、上記のフォンド以外にMaliye Nezâreti Cerîde Odası Defterleri (ML.CRD.d) フォンドなどにも収められている。
史料の刊行については、首相府オスマン文書館での公開以前では、カイセリ(2)とアンカラ(3)があったのみだが、公開以後は、アクチャアバト、ウンイェ、スルメネ、ティレボルなど、なぜかトラブゾン周辺の黒海沿岸地域の台帳ばかりが刊行されている(4)〜(8)。イスタンブルは他の地域よりも前倒しで人口調査が行われたらしく、1829年のトプハーネ地区の人口台帳(9)や、集計記録(Karpat 1985)の存在が知られている。
これらの台帳が、当時の人口及びその動態を知るための最重要な史料であることは言うまでもない(ただし、男子のみが対象だったので、正確な人口を割り出すことはできない)。また、人々の移動の記録や、限られてはいるが職業の情報などは、当該地域の社会経済的状況を知るための貴重な情報源である。初期の代表的な例として、アンカラのシャリーア法廷台帳として分類されていた人口調査基本台帳をもとに、年齢別の人口構成や職業ごとの人数などを整理した Çadırcı (1980) がある。黒海沿岸地域の人口動態や世帯構造を検討したMcCarthy (1979) は、1846/47年の(おそらく)定期人口調査台帳を用いた研究である。近年の研究としては、Kütükoğlu (2010), Doğru (2011) などがあり、日本でも、イズミルの集計台帳などを用いた吉田 (2002)、定期人口調査台帳(人口異動台帳)を資産・収入台帳(Temmettüât defteri)と組み合わせてバルケスィルの人口と世帯について論じた江川 (2009) がある。また、有力者については家系の名が記されているので、地方名望家研究にも多いに活用できる。
人口調査台帳を利用するためには、人口調査そのものについて知らなければいけない。1830/31年調査についてはAydın (1990) が最も詳しい。定期人口調査台帳については、Doğru (1989) がある。それ以降も含む人口調査全般については、Karpat (1978; 1985); Shaw (1978); Behar (1998a; 1998b); McCarthy (2007) などが参照できる。各調査の全国集計記録は、19世紀以降の人口研究において現時点で最良の参考文献であるKarpat (1985) に表となって示されている。
人口調査台帳は、人口を知るためだけでなく、政府が人口をどのように把握しようとしたのか、人口をどのようなカテゴリーによって分類していたのか、住民のどのような情報を入手しようとしていたのか、あるいは、そもそも誰を数えていたのか、など統治のあり方、権力の性格を知るための史料でもある (Behar 1998b)。人口の分類は19世紀末以降、きわめて政治的な争点になる。人口調査台帳を使ったわけではないが、1903年人口調査時におけるこの問題を扱った研究として、Yosmaoğlu (2006) がある。
オスマン帝国における本格的な(すなわち、女性も数え、帝国の大部分の領域をカバーする)人口調査は1881年から1893年にかけて実施された。その基本台帳(住民台帳nüfus kayıt defteri)は、グリッド状のフォーマットに、個人に関する各種の情報(世帯(ハーネ)番号、名前、身体的特徴、出生年、徴兵の記録、異動など)が記入される形式であった。この基本台帳をもとに、人口登録証(tezkire-i Osmaniye)と呼ばれる身分証明書が発行されるようになったことも重要である。イスタンブルの住民台帳については、各区の住民登録局 (Nüfus Müdürlüğü) に保管されているようであり、オスマン家族史研究を塗り替えたDuben and Behar (1991) とBehar (2003) が、1881-93年と1905/06年(1903-07年とも言われる)の人口調査後にそれぞれ作成されたイスタンブルの住民台帳を用いているが、それらにアクセスするためには特別な許可が必要なようである。トルコ国外では事情が異なり、シリアの文書館には1905/06年の人口調査後に作成された住民台帳(おそらく異動台帳 vuku‘at defteri)が残されており(ただし、現状は不明)、Okawara (2003); 大河原 (2007; 2009) がそれらを用いてダマスカスの世帯などに関する研究を行っている。
(吉田達矢・秋葉淳)
【刊行史料】
- Karal, Enver Ziya. Osmanlı İmparatorluğunda İlk Nüfus Sayımı 1831. Ankara: T. C. Başvekâlet İstatistik Umum Müdürlüğü, 1943. Second edition, Ankara: Türkiye İstatistik Kurumu Yayınları, 1997.
- Cömert, Hüseyin. Kayseri’de İlk Nüfus Sayımı: 1831. Kayseri: Kayseri İl Kültür Müdürlüğü, 1993.
- Çadırcı, Musa, et al, ed. 1830 Sayımında Ankara. Ankara: Ankara Büyükşehir Belediyesi Eğitim Kültür Daire Başkanlığı, 2000.
- Alikılıç, Dündar. Sürmene Nüfus Defteri. İstanbul: Alioğlu Yayınevi, 2013.
- Dağdelen, İrfan, Osman Doğan and Sabri Bacacı. Ünye Nüfus Defteri (1834). İstanbul: Ünyeliler Derneği, 2011.
- Demircioğlu, Sezgin, and Süleyman Bilgin. Of Nüfus Defteri. Ankara: (Kendi yayını), 2011.
- Topal, Zehra. 1840 Tarihli Akçaabat Nüfus Kayıtları. İstanbul: Arı Sanat, 2013.
- Bingöl, Sedat. 1829 İstanbul Nüfus Sayımı ve Tophane Kasabası. Eskişehir: Anadolu Üniversitesi Edebiyat Fakültesi, 2004.
【参考文献】
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- ––– 2009.「オスマン帝国時代末期のダマスカスの世帯―イスタンブルとの比較分析」比較家族史学会(監修),落合恵美子・小島宏・八木透(編)『歴史人口学と比較家族史』,早稲田大学出版部,235-258.
- 吉田達矢 2002.「1830年のイズミル都市社会―「人口調査台帳」の分析を中心に」『明大アジア史論集』8: 38-60.
(2013年3月作成)