第25回「近代中央ユーラシア比較法制度史研究会」(2025/12/20〜21)報告

第25回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が、科研費(基盤研究(B))「ロシア帝国領中央ユーラシアにおける家族と家産継承」(研究代表者:磯貝健一)により開催されました。その実施報告を掲載します。

 

【概要】

2025年12月20日(土)および21日(日)に、第25回近代中央ユーラシア比較法制度史研究会が、静岡県静岡市(パルシェ会議室)での対面参加とオンライン(Zoomミーティング)を併用したハイブリッド形式により開催された。初日の13:30~15:40までは「トルキスタン統治規程」研究会が行われ、続く16:00~18:30には、磯貝真澄氏(千葉大学大学院人文科学研究院/東北大学東北アジア研究センター)による研究報告が行われた。対面参加者は9名、オンライン参加者は5名であった。

前半の「トルキスタン統治規程」研究会では、第52条から第61条までを対象として訳文検討が行われた。訳文の作成は畠山禎氏(北里大学一般教育部)が担当し、条文の語義解釈、制度的位置づけ、他地域の統治規程との比較可能性などをめぐって、参加者の間で活発な議論が交わされた。

後半は、磯貝真澄氏による「ヴォルガ・ウラル地域のムスリムの婚資と離婚:19世紀後半~20世紀初頭」と題する研究報告が行われた。本報告は、ロシア帝国支配下のヴォルガ・ウラル地域に居住したテュルク系ムスリム(現在のタタール人・バシキール人)社会を対象とし、ムスリム教区簿を主要史料として、19世紀後半から20世紀初頭における婚姻、婚資、離婚の実態を数量的・制度的に分析する試みであった。

まず、ムスリム教区簿の制度的位置づけと編成過程が整理され、1828年のセナート令以降、オレンブルク・ムスリム宗務協議会の管轄下で、出生・婚姻・離婚・死亡が体系的に記録されていたことが確認された。とくに、婚姻簿に離婚に関する詳細な記載欄が設けられている点が、ムスリム教区簿の特徴として指摘された。

次に、1897年ウファ県ベレベイ郡に属する50教区(マハッラ)の教区簿を用いた数量的分析が示された。婚姻年齢については、初婚の新婦の中央値が20歳、新郎が25歳であり、婚姻適齢違反に該当する若年婚はほとんど確認されないことが明らかとなった。また、婚姻の時期は10月から3月に集中しており、農業暦やロシア的環境との関連が示唆された。

婚資については、新婦が初婚か再婚かによって顕著な差が認められ、初婚の場合の中央値が100ルーブルであるのに対し、再婚では25ルーブルにとどまっていた。婚資は即時払い分と支払期限付き分に分割されるのが一般的であり、即時払い分を多く設定することが望ましいと認識されていた可能性が指摘された。離婚に関しては、一方的離婚(タラーク)よりも身請離婚(フルウ)が圧倒的に多く、妻が未払い婚資や待婚期間中の扶養料、居住・衣服に関する権利などを放棄することで離婚が成立する事例が多数確認された。この点については、オスマン帝国を含む他地域のイスラーム社会との比較可能性が示され、離婚をめぐる経済的要因の重要性が指摘された。

最後に、今後の課題として、分析対象となる教区簿データの拡充、正教徒社会や中東・中央アジアのムスリム社会との比較、ならびに婚資として記載される物品の文化史的分析の可能性が挙げられた。

報告後の討論では、司会を宮下修一氏(中央大学大学院法務研究科)、討論者を畠山禎氏が務めた。畠山氏は、ムスリム教区簿が教区・村落レヴェルで婚姻・離婚の全体的傾向を把握できる史料であり、高い精度で数量的分析が可能である点を評価する一方、そこに登録されるのは原則として法規定を満たした「公式に承認された」事例に限られることを指摘した。また、教区簿がロシア帝国およびムスリム宗務協議会にとって住民把握・身分管理の手段であった点に注目し、その簡略的な記載形式は帝国当局とムスリム宗教組織との妥協の産物であった可能性を示唆した。

質疑では、教区簿を婚姻・離婚契約書や訴訟関連史料と組み合わせて用いる可能性、妻側からの離婚手続きの実態、婚資の分割払いと離婚との関係などが議論された。また、婚姻適齢違反や離婚制度がロシア帝政期の公的言説の中でどのように問題化されていたのかについて、正教徒やユダヤ教徒の事例との比較の必要性も指摘された。

これに対し磯貝氏は、結婚時の年齢が比較的明確に記録される一方、離婚時の年齢は記載されない場合が多く、数量的分析上の制約となっている点を指摘した。また、イスラーム法において契約は原則として口頭で成立するため、婚姻・離婚の文書化そのものの意味や必要性を、制度史的・実践的観点から検討する余地があることが示された。加えて、婚姻登録は国家への所属を可視化する行為としての意味も持ち、教区簿は国家の統治上の関心とウラマーのイスラーム法的関心が交差する場であった可能性が指摘された。さらに、四種類の教区簿を相互に照合する分析手法の有効性や、家族復元への応用可能性が確認された。対象時期が19世紀後半であることを踏まえると、国家に把握されないことはロシア帝国臣民としての権利を享受できないリスクを伴うため、婚姻や家族関係が広範に未登録であったとは考えにくいとの見解が示された。先行研究との差異については、ロシア帝国内の他のムスリム地域や、同種の史料が存在しない中央アジア地域との比較を通じて、中央ユーラシア史研究としての意義を明確化することが重要であるとされた。また、結婚・離婚回数の記録については、初婚か否かというムスリム社会内部の関心に加え、一夫多妻を必ずしも望ましいものと見なさない行政的意識や、記録者であるイマームやウラマーの問題意識が反映されている可能性が指摘された。結婚時期に関しては、イスラームの祝祭暦との関連、とりわけラマダーン月に婚姻件数が減少する可能性が指摘され、それは今後の量的分析の方向性を示唆するものと考えられる。

翌21日(日)、10:00~12:00に、静岡市内会議室で行われた研究打ち合わせ会議には、対面で7名、オンラインで2名が出席し、令和8年度の研究計画が共有されるとともに、今後の研究方針について意見交換が行われた。

(文責:岩本佳子・京都大学大学院文学研究科准教授)

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